カルボナリ
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カルボナリ(イタリア語: Carbonari、フランス語: Charbonnerie)は、19世紀前半にイタリアフランスに興った革命的秘密結社急進的な立憲自由主義(憲法に立脚する自由主義)を掲げ、ノーラトリノをはじめ各地で武装蜂起を企てた。 カルボナリの旗目次

1 起源

2 組織

3 勃興

4 台頭

5 蜂起

5.1 ナポリ革命・ピエモンテ革命

5.2 本部移転と国際化

5.3 フランス7月革命


6 解体

7 影響

8 主な党員

9 その他

10 関連項目

11 外部リンク

起源

イタリア語のカルボナリ (Carbonari)、あるいはフランス語のシャルボンヌリー (Charbonnerie) は「炭焼(木を燃して炭を製造する職人)」を意味し、日本では炭焼党、カルボナリ党、カルボネリーアとも呼ぶ。

この組織は1806年頃、ナポリ王国において結成された。起源は定かではないが、18世紀末、フランス革命の初期にフランス東部のフランシュ=コンテに存在した、炭焼人のギルドを模した秘密結社がその源流とされる。
組織

カルボナリはナポリに本部を置き(のちにパリに移転)、イタリア全土に支持層を広げた。その組織は徒弟制型の階層構造になっており、徒弟は親方に従属する。

秘密結社の常として、組織は仲間内にのみ解しうる記号や符牒を有していた。党員は、握手の際に秘密のサインを示すことで互いを同志か否か識別。サインは位階ごとに異なっていたという。また徒弟は薪の束、親方は手斧をかたどった飾りを着用した。

更に、党内では独特の隠語が用いられた。党員は自らを賤業とされた炭焼人に見立て、社会をボスコ(Bosco:森林)、政府や与党をルーポ(lupo:狼)、党員の秘密の集会所をバラッカ(baracca:山小屋)、その内部をヴェンディタ(Vendita:炭売り場)、党員でない者をパガーニ(pagani:異教徒)と称し、他の党員と挨拶を交わす際はブオン・クジーノ(buon cugino:良き従兄弟)と呼び合った。なお、党員は宗教に言及することを固く禁じられていたが、実際には守護聖人を定めてこれを崇拝するなど、宗教的色彩を帯びていた。

彼らの掲げた「自由・平等」という高邁な理想は、しかし、これに背く者に対しては厳罰(処刑を含む)をもって臨み、また専制打倒という大義のためには、殺人をも厭わないとする過激な思想をも包含していた。この急進的思想に突き動かされたカルボナリは、赤・青・黒の三色旗を旗印として、革命運動へと邁進してゆく。
勃興

ナポリ王フェルディナンド4世(Ferdinando IV、両シチリア王としてはフェルディナンド1世)を廃したナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)は、兄ジョゼフ(Joseph Bonaparte)にナポリの統治を任せることを決定。1806年3月30日、ジョゼフはナポリ王ジュゼッペ・ボナパルテ(Giuseppe Bonaparte)として即位した。これに随行した旧ジャコバン派の人々によって、フランシュ=コンテにおける結社の思想がナポリに伝播。イタリア南部のカラブリアに亡命していた共和主義者によって、カルボナリが誕生したとの説が有力である。

ジュゼッペに替わり1808年にナポリ王に就いたナポレオンの義弟ジョアシャン・ミュラ(Joachim Murat)ことジョアッキーノ・ミュラ(Gioacchino Murat)は、就任当初はカルボナリを快く思っていなかったが、ナポレオンとの間に齟齬が生じると、ナポレオン体制を否定するカルボナリに利用価値を見出し、これを陰で庇護。


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