カルテル
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この項目では、企業連合や談合などについて説明しています。

アメリカのバンドについては「カルテル (バンド)」をご覧ください。

Da-iCEの楽曲については「Kartell」をご覧ください。

カルテル(: Kartell, : cartel)または企業連合(きぎょうれんごう)とは、企業事業者独占目的で行う価格生産計画・販売地域等の協定を指す。また、公共事業などにおける競争入札の際、複数の入札参加者が入札価格や落札者などを事前協定しておく談合と呼ばれる商慣習もカルテルないし「不当な取引制限」であり、独占禁止法に抵触するだけでなく、刑法談合罪(刑法96条の6第2項)で処罰される。公共事業などでは競争入札が義務づけられているにもかかわらず発注者が受注者を指名するなど、発注者側(行政などの「官」)がカルテルを主導する汚職を官製談合という[1]

200家族の支配したフランスでは独占に明確な協定を要せず、以心伝心的な協調、つまりアンタント(: entente)が行われた。

シャーマン法第1条はシンジケート紳士協定もカルテルとみなすことがある。同法がウェッブ・ポメリン法により修正を受けた結果、1904年にできた板ガラスカルテルに米輸出組合が参加してしまった。

この記事では生産活動に関する本来のカルテルについて説明する。なお、俗に甲州選挙のような事前申し合わせのある選挙戦や55年体制の国対政治等も、比喩的にカルテルあるいは談合と呼ぶ[注 1]麻薬カルテルも通謀に着目してカルテルと呼んでいる。
歴史

中世のカルテルは株仲間ギルドのように呼び方がまちまちだった。

法律で規制する観点から似たような協定をカルテルと総称するのは近現代からである。

影響が大きかった国際カルテルには次のようなものがある。錫カルテル、銅カルテル[注 2]銀カルテル海運アライアンスポイボス・カルテル、兵器カルテル、無線カルテル通信社カルテルなどは、各国の政治・法律と私的自治の論理によって規制を免れてきた。合成窒素カルテルには遅まきながら日本も参加した。キニーネカルテルは農産物が対象である点で興味深い。

いわゆる鉄鋼カルテルは時代・地域・製品により区別されたものが国連などから多数報告されている。リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー汎ヨーロッパ主義提唱から3年後、1926年にドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ザール間でEntente internationale de l'acierが結ばれた(ルクセンブルクの歴史#経済問題を参照)。これは欧州石炭鉄鋼共同体の礎となった[2]

国際カルテルは必ずしも国益を考えず利益本位で動く。シャーマン法制定に活躍したウェンデル・バージは、国際カルテルを「私的政府」と呼び糾弾した[3]。戦後、日本の財閥解体は「トップのいない企業結合体」を存置する方針となり、財閥が再結集するという結果となった。1953年に独占禁止法を改正してカルテルを一部容認した[4][注 3]。1958年、西ドイツ競争制限禁止法が公布され、日本の公正取引委員会にあたる連邦カルテル庁が発足した。カルテルは原則禁止されたが、多数の例外規定が設けられていた。ドイツには戦前から多様な独占形態が存在した(具体例)。

1961年2月、フィラデルフィア連邦地方裁判所は、ゼネラル・エレクトリックウェスティングハウス・エレクトリックを中核とする29の電機メーカーと45人の役員に総額192万4500ドルの罰金刑を課した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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