カルチュラル・スタディーズ
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カルチュラル・スタディーズ (Cultural studies) は、20世紀後半に主にイギリスの研究者グループの間で始まり、後に各地域へと広まって行われた、文化一般に関する学問研究の潮流を指している。政治経済学社会学社会理論文学理論比較文学メディア論映画理論文化人類学哲学芸術史・芸術理論などの知見を領域横断的に応用しながら、文化に関わる状況を分析しようとするもの。日本語に直訳すれば「文化研究」あるいは「文化学」だが、日本国内ではもっぱら「カルチュラル・スタディーズ」と表記される。
概要

カルチュラル・スタディーズが成立する背景として、レイモンド・ウィリアムスなどのマルキストによる総合的記号論や、新たな方法論による文化・文学研究がイギリスで展開し、さらに非白人研究者がイギリスの大学で次第に発言力を強めていった点が挙げられる[1]。彼らによって、それまで研究されてこなかったイギリス社会の様々な側面が着目されるようになった[1]

スチュアート・ホールとリチャード・ホガートによって1964年バーミンガム大学に設立された現代文化研究センター(CCCS - Centre for Contemporary Cultural Studies)がこの造語の起源であり、また主要な震源地となった。いわゆる高級文化だけでなく、サブカルチャー大衆文化)をも手がかりとしうる点で、それまでの研究と異なっていた。

1970年代後半にイギリスでは保守・反動的な動きが起こると、それに対する学問的批判として、それまでの反体制的・批判的試みの代表格であったマルキシズムに新たな視点が加えられ、その応用として新たな文化研究や文学研究が先述のバーミンガム大学を中心に発展していった[1]。さらにアメリカでもこれに対応する学問研究がなされるようになった[2]

多くの場合カルチュラル・スタディーズにおいては、ある特定の現象がイデオロギー人種社会階級ジェンダーといった問題とどのように関連しているかに焦点が当てられる。

カルチュラル・スタディーズの研究対象は日常生活における意味行動である。文化的行動には、所定の文化において人々が特定の行動(テレビを観るとか外食をするとか)をする仕方も含まれる。どんな行動をするにせよ、様々な道具を用いる(iPod拳銃、……)。カルチュラル・スタディーズは、人々が様々な道具や行動にどんな意味と用法を与えているかを研究する。資本主義が世界を覆いつつある(いわゆるグローバリゼーション)今日ではカルチュラル・スタディーズは、西洋世界のヘゲモニーに対してローカルないしグローバルな様々な形式で行われている抵抗について批評をおこなっている[要出典]。

ひどくおおざっぱに言えば、カルチュラル・スタディーズという言葉が地域研究とほぼ同義に用いられることもあるし、イスラーム研究、アジア研究、アフリカ系アメリカ研究、アフリカ研究、ドイツ研究、等々の個別文化の学術的研究を指す一般的用語として用いられることもある。研究者によっては、大学機関におけるカルチュラル・スタディーズの起源を、1920年代にデンマークのFolk Schoolsで行われた初期の人類学的研究や、1930年代に北アメリカのアパラチアにあるHighlander Schoolで行われた研究や、1970年代にケニアで行われたKamiriithu projectに求める人もいる。しかし厳密に言えば、カルチュラル・スタディーズ課程は(ジョージ・メイソン大学のPh.D.課程のように)特定地域の研究を意味するものではないし、特定の文化的行動にかかわるものでもない。

ジャウディン・サルダーはその著書『カルチュラル・スタディーズへの招待』で以下のようにカルチュラル・スタディーズの主要な特徴を5つ挙げている。
カルチュラル・スタディーズはその主題とする事象を文化的行動と権力との関係という見地から吟味する。例えば、ロンドンの白人労働者階級の若者のサブカルチャーを研究するときには、若者社会的行動が支配的階級とどのようにかかわっているかが考察される。

その目的には文化をその複雑な形式すべてにおいて捉えること、そしてそれが自らを浮き立たせている文化的・社会的コンテクストを分析することが含まれる。

それは学問分野であると同時に、政治的批判と行動の場でもある。

それは知識分野のあいだの乖離を露呈させ調停することを試み、暗黙の「文化的知識」と、客観的で「普遍的」な形式の知識との距たりを乗り越えようと試みる。

それは近現代社会に対する倫理的評価と政治的行動の急進的な路線へのコミットメントを行う。

研究手法

この分野の研究が始まって以降、イギリスおよびアメリカ合衆国の研究者たちは1970年代後半にカルチュラル・スタディーズに類する様々な研究をおこなってきた。もともとイギリスのカルチュラル・スタディーズは1960年代に、リチャード・ホガートとスチュアート・ホールの影響下でバーミンガム大学の現代文化研究センターで発展した。このためイギリスではカルチュラル・スタディーズは明白に政治的で、左翼的立場に立って、民衆文化(ポピュラー・カルチャー)に対して資本主義大衆文化(マスカルチャー)であるという批判を行った。この意味でイギリスのカルチュラル・スタディーズは、フランクフルト学派の『文化産業』批判の一部を受け継いだ。このことはイギリスの初期のカルチュラル・スタディーズ系研究者の著作やその影響を見れば明らかである(例えばレイモンド・ウィリアムズ、スチュアート・ホール、ポール・ウィリスポール・ギルロイ等)。

反対に、当初からアメリカのカルチュラル・スタディーズの関心は主観性の理解に傾いており、大衆文化の受容ないし使用の仕方という領有の有り様に的を絞っていた。アメリカのカルチュラル・スタディーズ研究者たちは、なにかのファンであることには解放的な側面があると書いている(ジョン・ギロリー、コンスタンス・ペンリーなどの批評家の著作を参照)。ただし、このような英米のカルチュラル・スタディーズの相違は次第に薄れていった。

とりわけ初期のイギリスのカルチュラル・スタディーズに言えることだが、分析にあたってマルクス主義のモデルを適用する研究者もいる。この系統の研究は主にフランクフルト学派に想を得ている。正統的なマルクス主義的研究の場合、意味の「生産」の問題に焦点を当てる。つまり文化の大量生産を所与として、文化的産物の生産過程に随伴する権力に注目する。マルクス主義的見解によれば、意味の生産をコントロールするもの(経済的「基礎」)が基本的に文化もコントロールしている。

カルチュラル・スタディーズの中には、アメリカを中心に世界に広まったフェミニズムの学習方法のように、マルクス主義の影響を受けた思想色・政治色の濃厚な学習法も多い。一方で、非マルクス主義的手法を取る場合、文化による生産物の消費方法は様々であり、この多様性が意味の生産に影響するとされる。好例はポール・ドゥ・ゲイ他『実践カルチュラル・スタディーズ?ソニーウォークマンの戦略』であり、人々がある商品に与えている意味は商品の生産者によってコントロールされているという考えに異議が申し立てられている。


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