カルタヘナ・デ・インディアス
Cartagena de Indias
市旗市章
位置
ボリーバル県内のカルタヘナの位置
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}カルタヘナカルタヘナ (コロンビア)コロンビアの地図を表示カルタヘナカルタヘナ (南アメリカ)南アメリカの地図を表示
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯10度24分 西経75度30分 / 北緯10.400度 西経75.500度 / 10.400; -75.500
カルタヘナ(Cartagena)は、コロンビア北部の都市である。ボリーバル県の県都。人口は103万6412人(2018年)。
カリブ海に面した港町で、「カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群」が世界遺産に登録されている。コロンビアを代表する観光都市。 カルタヘナ市はスペインによる征服時代以前はカリブ語(Karib)を話す戦闘的なカラマリ人
地理
面積:572km2
地勢:北緯10度16分(グアム島と同緯度)、東経75度30分(ニューヨーク市と同経度)
歴史
カラマールは1500年にスペイン人ロドリゴ・デ・バスティーダス(Rodrigo de Bastidas)と接触した。カラマリ族との長い戦闘の末、1533年1月20日にようやく現在のカルタヘナ市が同じくスペイン人のペドロ・デ・エレディア(スペイン語版、英語版)(Pedro de Heredia)により建設された。同市の建設が遅れた理由として飲料水の不足と好戦的なカラマリ族が毒矢を用いて強く抵抗したこと等が大きな要因とされている。
16世紀以降、スペイン人がインカ帝国を滅ぼして以来、スペイン帝国の最も重要な投錨地として発達し、南米各地で強奪した金やペルー、アルト・ペルーのポトシ銀山の銀、エメラルドをはじめとするアメリカ大陸の産物の輸出港となり、南米北部の奴隷貿易の中心地でもあった。その富が、カリブの海賊たちや他国の標的になりやすいため、石灰岩(サンゴ石)の壁を築いた。
かくしてカルタヘナは17世紀から18世紀にかけて繁栄の絶頂期を迎えた。現存する遺跡の城塞教会、植民地街等はこの時代のものである。
この豊かな町に目を付けたカリブの海賊達(フランス、イギリス)は、同港からスペインへの輸出を妨害し略奪に走った。しかし、カルタヘナは海賊の攻撃に良く耐え、スペイン・ハプスブルク朝のフェリペ2世の命令の元、アフリカ人奴隷達の労働力により難攻不落の港の建設に着手した。この城壁はカルタヘナ・デ・インディアスの海戦 (1741年)で英国より送られた大船団に対し大きな効力を発揮しこれを防いだ。