カルタヘナ・デ・インディアス
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カルタヘナ・デ・インディアス
Cartagena de Indias



市旗市章

位置

ボリーバル県内のカルタヘナの位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯10度24分 西経75度30分 / 北緯10.400度 西経75.500度 / 10.400; -75.500
歴史
建設1533年6月1日
行政
 コロンビア
  ボリーバル県
 市カルタヘナ・デ・インディアス
地理
面積 
  市域572 km2
標高2 m
人口
人口(2018年現在)
  市域1,036,412人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間なし
市外局番(57)-(5)

カルタヘナ(Cartagena)は、コロンビア北部の都市である。ボリーバル県の県都。人口は103万6412人(2018年)。

カリブ海に面した港町で、「カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群」が世界遺産に登録されている。コロンビアを代表する観光都市。
地理

面積:572
km2

地勢:北緯10度16分(グアム島と同緯度)、東経75度30分(ニューヨーク市と同経度)

歴史

カルタヘナ市はスペインによる征服時代以前はカリブ語(Karib)を話す戦闘的なカラマリ人(Karamari)というインディオの一族が住人であり、カラマール(Calamar:イカという意味)と呼ばれていた。

カラマールは1500年にスペイン人ロドリゴ・デ・バスティーダス(Rodrigo de Bastidas)と接触した。カラマリ族との長い戦闘の末、1533年1月20日にようやく現在のカルタヘナ市が同じくスペイン人のペドロ・デ・エレディア(スペイン語版、英語版)(Pedro de Heredia)により建設された。同市の建設が遅れた理由として飲料水の不足と好戦的なカラマリ族が毒矢を用いて強く抵抗したこと等が大きな要因とされている。

16世紀以降、スペイン人がインカ帝国を滅ぼして以来、スペイン帝国の最も重要な投錨地として発達し、南米各地で強奪した金やペルーアルト・ペルーポトシ銀山のエメラルドをはじめとするアメリカ大陸の産物の輸出港となり、南米北部の奴隷貿易の中心地でもあった。その富が、カリブの海賊たちや他国の標的になりやすいため、石灰岩サンゴ石)の壁を築いた。

かくしてカルタヘナは17世紀から18世紀にかけて繁栄の絶頂期を迎えた。現存する遺跡の城塞教会、植民地街等はこの時代のものである。

この豊かな町に目を付けたカリブの海賊達(フランスイギリス)は、同港からスペインへの輸出を妨害し略奪に走った。しかし、カルタヘナは海賊の攻撃に良く耐え、スペイン・ハプスブルク朝フェリペ2世の命令の元、アフリカ人奴隷達の労働力により難攻不落の港の建設に着手した。この城壁はカルタヘナ・デ・インディアスの海戦 (1741年)で英国より送られた大船団に対し大きな効力を発揮しこれを防いだ。


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