カルケドン
ChalcedonΧαλκηδ?ν
カルケドン (Chalcedon)、ビュザンティオン (Bizantio) などを示したボスポラス海峡周辺地図(スペイン語)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度59分28秒 東経29度01分34秒 / 北緯40.99111度 東経29.02611度 / 40.99111; 29.02611
カルケドン(ギリシア語: Χαλκηδ?ν、ラテン語: Chalcedon)は、アナトリア半島北西部に位置した古代都市である[1]。現在のトルコ共和国イスタンブール市カドゥキョイ(トルコ語: Kad?koy)地区にあたる[1]。
紀元前685年、古代ギリシアの都市国家メガラの植民地として建設された[1]。ボスポラス海峡をはさんでビュザンティオンの対岸に位置し、アテナイとスパルタとの間で領有を争われた[1]。のちにアッタロス朝の支配下に入り、紀元前133年、アッタロス3世死去に際し共和政ローマに遺贈され[1]ビテュニア属州の一部となった。451年、キリスト教の教義に関するカルケドン公会議が開かれ[1]、カルケドン信条が定められた。
石英鉱物の一種玉髄の英語名カルセドニー (chalcedony) は当地にちなむ[2]。
出土した銀の水差し
ギリシア文字で「プロマチオンの息子マトリコンは54年の生涯を全うした」と記された大理石製墓碑。紀元前1世紀、カドゥキョイ出土、イスタンブール考古学博物館蔵。
脚注^ a b c d e f “カルケドン Chalk?d?n”. ブリタニカ国際大百科事典小項目事典. 2018年8月5日閲覧。
^ 松原聰. “玉髄 ぎょくずい chalcedony”. 日本大百科全書. 2018年8月5日閲覧。
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2
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