カルガリー
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カルガリー市
City of Calgary

位置

カルガリー市の位置(アルバータ州)
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度02分 西経114度03分 / 北緯51.033度 西経114.050度 / 51.033; -114.050
歴史
入植1873年
創設1875年
町制
市制1884年
1894年
行政
カナダ
  アルバータ州
 RegionCalgary Region
 行政区第6区分
 市カルガリー市
市長ジョティ・ゴンデク(英語版)
地理
面積 
  市域726.50 km2
  都市圏5,107.43 km2
標高1048 m
人口
人口2016年[1][2]現在)
  市域1,239,220人
    人口密度  1,501.1人/km2
  市街地1,237,656人
    市街地人口密度  2,111人/km2
  都市圏1,392,609人
    都市圏人口密度  272.5人/km2
  備考カナダ国内5位
その他
等時帯山岳部標準時 (UTC-7)
夏時間山岳部夏時間 (UTC-6)
郵便番号T1Y ? T3R
市外局番+1-403
公式ウェブサイト : ⇒www.calgary.ca

カルガリー(英語: Calgary [?kal?ri] ( 音声ファイル))は、カナダ西部にあるアルバータ州の都市。同州最大かつ北米有数の世界都市。アルバータ州の南部、カナディアンロッキー山麓から東におよそ80 km高原地帯に位置する。

カルガリーからエドモントンを結ぶ地域は人口密度が高くカルガリー・エドモントン街道と呼ぶ。都市の近郊にあるいくつものマウンテン・リゾートを含め、ウィンタースポーツエコツーリズムが盛んな場所として知られる。代表的な年間行事にカルガリー・スタンピード、フォーク・ミュージック・フェスティバル(英語版)、ライラック・フェスティバル(英語版)、グローバルフェスト(英語版)、カリブ系の祭りとしては国内で2番目の規模を持つカリフェストなどが開催される。

カルガリー・スタンピードで有名であることから「スタンピード・シティ」(英語: The Stampede City)の愛称をもつ。アルバータ牛でも知られ、牛の街「カウタウン」(英語: Cowtown)とも呼ばれる。
歴史
初期の入植1885年頃のカルガリー。

ヨーロッパからの入植が始まる前、この地域は先住民ブラックフット族の領地であった。少なくとも1万1000年前から定住していたとされる。記録に基づくとカルガリーに訪れた最初のヨーロッパ人は探検家のデイビッド・トムソン(英語版)で、1787年に、ボウ川付近にあったペイガン族のキャンプ地で冬を過ごしている。そして1873年、ジョン・グレン(英語版)がカルガリーの地域に入植した最初の入植者とされる[3]

北西騎馬警察(現在のRCMP)の駐屯地となり、当初はフォート・ブリスボワ(Fort Brisebois)と呼ばれた。1876年にフォート・カルガリー(英語版)と改名された。カルガリーの名はスコットランドマル島の地名から来ており、ゲール語で「輝く水」を意味する。1883年カナダ太平洋鉄道(CPR)がこの地域に開通し、駅が建設されたことで、カルガリーは周辺地域の商業と農業の中心として発展した。CPRの本社は今もカルガリーに置かれている。1884年に町制が敷かれ、まだノースウエスト準州に属していた1894年に、同準州内で最初に市制が敷かれた都市となった。
オイルブーム

1902年石油が発見されたものの、これは短期的なブームで終わり、州の重要な産業とはならなかった[4]1947年に巨大な油田が発見されると、カルガリーはこの後すぐにオイルブームの中心となり、1973年第1次石油危機原油価格が上昇したことで、街の経済は大きく発展した。1971年から1988年の17年間で25万4000人増え、さらに次の18年間で33万5000人も増えた。このブームの期間、都市の急速な開発と建物の高層化が進み、今もこの流れが続いている。

カルガリーの経済は石油産業の影響が大きく、1981年に年平均の原油価格がピークとなった際、都市のブームもピークを迎えた[5]。その後、原油価格の低下と連邦政府の資源政策(NEP)によって石油産業は低迷し、カルガリー経済の足かせとなった。1980年代中頃、ブライアン・マルルーニー政権下のもとNEPの政策が取り消されたことで原油価格は低迷していたにもかかわらず、1990年代までには経済は完全に回復した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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