カルガリー市
City of Calgary
位置
カルガリー市の位置(アルバータ州)
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度02分 西経114度03分 / 北緯51.033度 西経114.050度 / 51.033; -114.050
カルガリー(英語: Calgary [?kal?ri] ( 音声ファイル))は、カナダ西部にあるアルバータ州の都市。同州最大かつ北米有数の世界都市。アルバータ州の南部、カナディアンロッキー山麓から東におよそ80 kmの高原地帯に位置する。
カルガリーからエドモントンを結ぶ地域は人口密度が高くカルガリー・エドモントン街道と呼ぶ。都市の近郊にあるいくつものマウンテン・リゾートを含め、ウィンタースポーツとエコツーリズムが盛んな場所として知られる。代表的な年間行事にカルガリー・スタンピード、フォーク・ミュージック・フェスティバル(英語版)、ライラック・フェスティバル(英語版)、グローバルフェスト(英語版)、カリブ系の祭りとしては国内で2番目の規模を持つカリフェストなどが開催される。
カルガリー・スタンピードで有名であることから「スタンピード・シティ」(英語: The Stampede City)の愛称をもつ。アルバータ牛でも知られ、牛の街「カウタウン」(英語: Cowtown)とも呼ばれる。
歴史
初期の入植1885年頃のカルガリー。
ヨーロッパからの入植が始まる前、この地域は先住民ブラックフット族の領地であった。少なくとも1万1000年前から定住していたとされる。記録に基づくとカルガリーに訪れた最初のヨーロッパ人は探検家のデイビッド・トムソン(英語版)で、1787年に、ボウ川付近にあったペイガン族のキャンプ地で冬を過ごしている。そして1873年、ジョン・グレン(英語版)がカルガリーの地域に入植した最初の入植者とされる[3]。
北西騎馬警察(現在のRCMP)の駐屯地となり、当初はフォート・ブリスボワ(Fort Brisebois)と呼ばれた。1876年にフォート・カルガリー(英語版)と改名された。カルガリーの名はスコットランドのマル島の地名から来ており、ゲール語で「輝く水」を意味する。1883年にカナダ太平洋鉄道(CPR)がこの地域に開通し、駅が建設されたことで、カルガリーは周辺地域の商業と農業の中心として発展した。CPRの本社は今もカルガリーに置かれている。1884年に町制が敷かれ、まだノースウエスト準州に属していた1894年に、同準州内で最初に市制が敷かれた都市となった。 1902年に石油が発見されたものの、これは短期的なブームで終わり、州の重要な産業とはならなかった[4]。1947年に巨大な油田が発見されると、カルガリーはこの後すぐにオイルブームの中心となり、1973年の第1次石油危機で原油価格が上昇したことで、街の経済は大きく発展した。1971年から1988年の17年間で25万4000人増え、さらに次の18年間で33万5000人も増えた。このブームの期間、都市の急速な開発と建物の高層化が進み、今もこの流れが続いている。 カルガリーの経済は石油産業の影響が大きく、1981年に年平均の原油価格がピークとなった際、都市のブームもピークを迎えた[5]。その後、原油価格の低下と連邦政府の資源政策(NEP
オイルブーム