カルカッタ国際博覧会
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EXPO 1883/1884
開会演説をしたリポン卿、1880年撮影。
概要
BIE区分未区分博覧会
名称カルカッタ国際博覧会
面積22エーカー (8.9 ha)
観客数100万人
運営者オーガスタス・リヴァーズ・トンプソン(実行委員会会長)
S.T.Trevor(副会長)
Jules Joubert(総支配人)
会場
イギリス領インド帝国
都市カルカッタ
会場インド博物館
マイデン[1]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯22度33分29秒 東経88度21分03秒 / 北緯22.55806度 東経88.35083度 / 22.55806; 88.35083
経緯
初日1883年12月4日 (1883-12-04)
最終日1884年3月10日 (1884-03-10)
テーマ型博覧会

カルカッタ国際博覧会(カルカッタこくさいはくらんかい、Calcutta International Exhibition)は、国際的な博覧会として[2]1883年末から1884年3月にかけて、カルカッタ(後のコルカタ)で開催された[3]
概要

この博覧会は、1883年12月4日から1884年3月10日にかけて[3]インド博物館の敷地とマイデン(英語版)を会場として開催された[1]

ベルギーセイロンフランスドイツイタリア日本海峡植民地トルコアメリカ合衆国からの出展があった[4]オーストラリア大陸のイギリス植民地であったニューサウスウェールズ植民地南オーストラリア植民地タスマニア植民地ビクトリア植民地は、いずれもインド博物館地区に出展した[5]

博覧会のマイダン地区は、チョウインギー・ロード(英語版)(後のジャワハルラール・ネルー・ロード)を跨ぐ橋でインド博物館地区と結ばれていた。マイダン地区には、内部にインドの宮廷を再現した鉄骨造の建物、機械館、兵舎、喫茶室(英語版)などが設けられていた[5]
インドの宮廷

会場では、ジョン・ロックウッド・キプリング(英語版)が収集した物品などで構成された、パンジャーブの宮廷が再現されていた[6]

シンディア家マハーラージャであったジャヤージー・ラーオ・シンディアは、彫刻を施した砂岩の門、グワリア門 (the Gwalior Gateway) を造らせたが、この門は博覧会後には200包の荷物に分けてロンドンヴィクトリア&アルバート博物館に送られ、1886年植民地・インド博覧会にも展示された[7]
役員

この博覧会の役員には、実行委員会の会長を務めたオーガスタス・リヴァーズ・トンプソン(英語版)、副会長のS・T・トレヴァー (S.T.Trevor)、総支配人ジュールズ・ジョバート (Jules Joubert) らが名を連ねていた[8]
開会式


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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