カリ・カルテル
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カリ・カルテル幹部と押収された麻薬
設立1970年
設立者ロドリゲス・オレフエラ兄弟
設立場所サンティアゴ・デ・カリ
首領ヒルベルト・ロドリゲス・オレフエラ (en)
ミゲル・エンジェル・ロドリゲス・オレフエラ (en
ホセ・サンタクルス・ロンドーノ(en)
ヘルマー・エレーラ (en)
活動期間1970年 -
活動範囲南北アメリカ大陸
構成民族コロンビア人
主な活動麻薬取引
マネーロンダリング
収賄
友好組織メキシコ・マフィア
フアレス・カルテル
グアダラハラ・カルテル
ガルフ・カルテル
敵対組織メデジン・カルテル
ノルテ・デル・バジェ・カルテル

カリ・カルテル(スペイン語: Cartel de Cali)は、コロンビア犯罪組織
概要

カリ・カルテルはコロンビアの都市サンティアゴ・デ・カリで活動していたヒルベルト〔英語版〕とミゲル〔英語版〕のロドリゲス兄弟が中心となっていた営利誘拐を生業とする「ロス・チェマス団」を前身とする。

麻薬密売に手を付けたヒルベルトは、まず軽飛行機を購入し半製品のコカペーストペルーからカリに空輸しそこで塩酸コカイン精製してアメリカ合衆国に送った。数年で700機の飛行機を自前で用意して全米に運ぶようになった。抜群の経営能力をもち、まず銀行投資1974年には自ら銀行を設立させ、中南米の銀行を買収した。またコカインの国内製造のために全国最大の薬局チェーンを買収して、必要な薬品は何でも輸入可能にすることでサプライチェーンを完結させた。その情報収集能力も驚異的でアメリカの捜査当局でさえ出し抜かれた。メデジン・カルテルが重厚なヒエラルキーに支えられていたのとは対照的に、生産者がそれぞれ自営で決定権を持ちつつ、生産物消費者の元まで届けるという酪農組合に似たシステムで柔軟なカルテルを作り出し、利益は追求しても当局との直接対決は避け表に出ない立場だった。

1980年代に入ってマネーロンダリングに対する司法の目が厳しくなるとアメリカ合衆国ドルで耐久消費財を買いコロンビアに密輸して現地通貨ペソで売った。ヘロインの製造も手がけて急成長し、コロンビアの犯罪組織メデジン・カルテルに次ぐ規模になった。しかし、幹部中小企業経営者や中産層が多いことから、当局者を徹底買収することにより戦闘を控え、無用な殺傷を極力避けていた。1981年1982年に他のコロンビア・マフィアとの会議でニューヨークを縄張りにすることに決め他の組織がそこに密輸する場合はカリと連携しなければならなかった。ただし、その後、逮捕のリスクを避けるためにメキシコマフィアと協定を結びメキシコ経由で運ぶようになった。

1986年からライバルのメデジン・カルテルが政府相手に麻薬戦争を開始すると、当局に情報を流したりしたため攻撃を受けた。それに伴い武闘派路線をとるようになり、メデジン・カルテルのリーダーで麻薬王のパブロ・エスコバルの家族や部下らを、自ら結成した"Los Pepes"("Perseguidos por Pablo Escobar", 「パブロ・エスコバル虐待された人々」)という自警団により多数殺害している。(特殊空挺部隊などから集めた傭兵エスコバルを暗殺させようともしたが、作戦直後コロンビア人パイロットのミスで傭兵らが乗るヘリコプター墜落したため失敗に終わった)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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