カリブ族(カリブぞく、Caribs、カリナゴ族、Kalinagoとも言う)とは南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。西インド諸島は小アンティル諸島の島嶼カリブ(英語版)、中米カリブ海沿岸のブラック・カリブ(英語版)、コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルに散在する大陸カリブ(英語版)の3つに区分される。バーベキューやハリケーン、カニバルなどの単語をもたらした。
「カリブ」はヨーロッパ人が名付けた呼び方で、差別的・偏見を与えるという意見がある。島嶼カリブが多く居住するドミニカ国では、2015年2月に「カリブ」という用語は「カリナゴ」へ置き換えられた[1]。カリナゴというのは自称で、17世紀にドミニカ島で布教活動を行ったレーモン・ブルトン(英語版)が著作した辞典によると、「カリブ族の本当の名前」とされている[2]。 小アンティル諸島に居住していた。コロンブスの到来の約100年前には南アメリカから小アンティル諸島を北上し、先住民のアラワク族を征服した。大アンティル諸島のタイノ族も襲っていたが、プエルトリコの東部を除き、定住していたかは不明である。 コロンブスらスペイン人の報告では、アラワク族の男を殺して食べる人食い人種と見なされた。人食い人種という評判が広まった結果、後にヨーロッパにおいてカニバリズムと言う言葉も出来た。好戦的であり、ヨーロッパからの入植を防ぐため戦い入植を困難にしたが、やがて殺されたり追い出されたりされ衰退し、カリブ族の居住地は17世紀には小アンティル諸島のドミニカ島とセントビンセント島だけとなった。ドミニカ島のカリブ族は1903年7月4日にカリブ族居留地 (Carib Reserve) として特定居留地に移され、1940年代にはカリブ族の人口は約500人になっていた。1952年にカリブ評議会が設立された。1930年9月、植民地政府の警察がカリブ族が密輸をしていると密輸品とされる酒類のアルコールとタバコを押収した事がきっかけで、警察とカリブ族が衝突した。この衝突で、イギリス海軍が鎮圧に乗り出し、負傷者も出る中、2人が死亡(内、1人の犠牲者カリブ族首長のトーマス・ジョリー・ジョンは投獄射殺された)。この衝突はカリブ戦争
島嶼カリブ
かつて、好戦的で人食い族として恐れられていたが現在は農業を営み、穏和な集団を築き、民主的に選ばれる独自の首長(en:Chief of the Carib Territory)がいる。また熱心なカトリック信者でもあり、イギリス式の学校教育を受け、市場経済などの影響で急速なドミニカ化が進んでいる。そのため、カリブ族伝統のアイデンティティーはほとんど失われてしまっている。現在のドミニカ国[3]のカリブ族の人口は黒人や白人の混血も含めると約3400人である。ドミニカ国の北東部にあるカリブ族の居留地
大臣や首長を決めるのは選挙で、首長は5年任期である。2009年からの首長は1999年から2004年まで首長を勤めていたガーネット・ジョセフ(Garnette Joesph)である。チャールズ・ウィリアムズ(Charles Williams)は2004年から2009年まで、女性首長であるヒラリー・ベルグレーブ・フレデリック(Hilary Belgrave Frederick)は1979年から1984年と1994年7月から1999年まで首長を勤めていた。