カリフォルニア・ジャム (California Jam) は1974年4月6日、アメリカ合衆国カリフォルニア州オンタリオ・モーター・スピードウェイにて開催されたロック・フェスティバル。主催はアメリカのABCテレビジョン。 前売り券は10ドル、当日券は15ドルで売り出された。チケットの売り上げ数から集まった聴衆の数は25万人と推定されている[1]。総演奏時間は約11時間におよび、この模様は主催者のABCテレビジョンにて全米中継された。 ヘッドライナーはディープ・パープルとエマーソン・レイク&パーマーである。出演順について両グループの関係者はかなり揉めたが、ライティングを重視したエマーソン・レイク&パーマーが後になった[注釈 1]。出演時間を早められて日没前の夕方に登場したディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモア[注釈 2][注釈 3]はABCテレビジョンのカメラマンの撮影の仕方に腹を立て[注釈 4]、ギターでテレビカメラを破壊し[注釈 5]、マーシャル・アンプに火を放ったが、燃料が予定よりも多すぎたので危険な状況だった[注釈 6]。彼等は演奏後に器物損壊・消防法などで拘束される恐れがあったため、速やかにヘリコプターで州の外へ逃亡した。カメラの賠償は1万ドルと見積もられ、後にマネージャーが支払った。 以下は出演順による。
カリフォルニア・ジャム 1974
出演者
レア・アース (バンド)
アース・ウインド & ファイア
イーグルス (バーニー・レドン、ランディ・マイズナーを擁する初期ラインナップ)
シールズ & クロフツ
1978年3月18日にはカリフォルニア・ジャム2が開催されエアロスミス、ジャーニー、フォリナー、テッド・ニュージェント、ルビコンなどが出演した。
脚注[脚注の使い方]
出典^ ⇒donbranker.com
注釈^ グレン・ヒューズは「出演6か月前の時点では俺たちがヘッドライナー扱いで、2か月前になってプロモーターがEL&Pも同契約扱いして、もっと客を呼ぼうとした。フェアじゃないんで日没に出演したいと言ったら、OKだった。ところがショウが予定より早く進行して、プロモーターは早く出ろと言って来たがリッチーは断固拒否した。彼を引っ張り出すことは誰にも出来なかった、あのショウでステージ衣装を着ていないのはそのためなんだ。彼は怒り狂っていたよ」と発言。ボブ・サイモンによると「パープルは翌日にアリゾナでショウがあるから、カリフォルニアから早く離れなければならなかった。EL&Pがトリを取ったのはそのためだよ」とのこと。(ジェリー・ブルーム著 / ブラックナイト リッチー・ブラックモア伝 pp.197-198)
^ ブラックモアの発言「誰かが俺の楽屋へ来て、すぐ舞台に上がれと命令した。到着したばかりだったんで、そいつを無視した。男は30数えるうちにステージに上がらないとショウには出さないと言ったが、俺はギターをチューニングしながらカウントダウンを聞いてた。そして15数える前に叩きだしてやった」。
^ 同僚のジョン・ロードが来て説得したがブラックモアは聞き入れなかった。するとABCテレビジョンの代表がやって来て、礼儀正しく「ステージに出て貰えませんか?」と頼んだので、彼はやっと出ることを決意した。
^ ディープ・パープルのマネージャーであるジョン・コレッタ
イアン・ペイス | イアン・ギラン | ロジャー・グローヴァー | ドン・エイリー | サイモン・マクブライド
旧メンバー
リッチー・ブラックモア | ジョン・ロード | ロッド・エヴァンス | ニック・シンパー | デイヴィッド・カヴァデール | グレン・ヒューズ | トミー・ボーリン | ジョー・リン・ターナー | スティーヴ・モーズ
旧ツアー・メンバー
ジョー・サトリアーニ
スタジオ・アルバム
ハッシュ | 詩人タリエシンの世界 | ディープ・パープル III | イン・ロック | ファイアボール | マシン・ヘッド | 紫の肖像 | 紫の炎 | 嵐の使者 | カム・テイスト・ザ・バンド | パーフェクト・ストレンジャーズ | ハウス・オブ・ブルー・ライト | スレイヴス・アンド・マスターズ | 紫の聖戦 | 紫の証 | アバンダン | バナナズ | ラプチャー・オブ・ザ・ディープ | ナウ・ホワット?! | インフィニット | ウーッシュ! | ターニング・トゥ・クライム