カリクレス_(政治家)
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カリクレス(希:Χαρικλ??、ラテン文字転記:Charicles、生没年不明)は紀元前5世紀アテナイ政治家である。

カリクレスはアポロドロスの子である。ペロポネソス戦争中の紀元前415年のヘルメ像破壊事件においてカリクレスはその調査官の一人の一人になり[1]紀元前413年には春の始まりと共にアルゴスより兵を集めた後、シケリアへの増援として向かうデモステネスに彼らを渡すという任を受け、ペロポネソス半島へと30隻の艦隊とともに派遣された[2][3]。カリクレスとデモステネスはアルゴスで合流してケルキュラへと向い、ケルキュラに守備隊を配置した後にカリクレスは帰国した[4]。ペロポネソス戦争の敗戦後、スパルタの支援で紀元前404年三十人政権が発足すると、カリクレスはその一員となった[5]紀元前403年のトラシュブロスら民主派がアテナイの外港ペイライエウスに篭って三十人政権に挑戦し、鎮圧に向った三十人政権の中心人物クリティアスがペイライエウスでの戦いで戦死した。他の三十人政権のメンバー(恐らくカリクレスも含まれている)はエレウシスに逃れて傭兵を集めたが、それを察知した民主派の攻撃を受けた後、放免された[6]。その後カリクレスがどうなったのかについては史料は沈黙している。

また、三十人政権時代にソクラテスの政治家批判の発言を聞いたカリクレスはクリティアスと共にソクラテスに若者との会話を禁じたとも言われる[7]
^ アンドキデス, 「秘儀について」, 36
^ トゥキュディデス, VI. 20
^ ディオドロス, XIII. 9
^ トゥキュディデス, VI. 26
^ クセノポン, 『ギリシア史』, II. 3. 2
^ ibid, II. 4. 24, 43
^ クセノポン, 『ソクラテス言行録』, 1. 2. 32-37

参考文献及び参考URL

アンティポンアンドキデス著、高畠純夫訳、『弁論集』、京都大学学術出版会、2002年

クセノポン著、根本英世訳、『ギリシア史 1』、京都大学学術出版会、1998年

クセノポン著、内山勝利訳、『ソクラテス言行録 1』、京都大学学術出版会、2011年

トゥキュディデス著、城江良和訳、『歴史』(2)、京都大学学術出版会、2003年

ディオドロスの『歴史叢書』の英訳
カテゴリ:

古代アテナイの人物


更新日時:2011年11月26日(土)13:47(日時は
取得日時:2012/01/24 23:20


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