カリガリ博士
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "カリガリ博士" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年1月)
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、1920年のドイツ映画について説明しています。1962年のアメリカ映画については「怪人カリガリ博士」を、その他の用法については「カリガリ」をご覧ください。

カリガリ博士
Das Cabinet des Dr. Caligari.
アメリカでの公開時のポスター
監督ローベルト・ヴィーネ
脚本ハンス・ヤノヴィッツ
カール・マイヤー
製作エリッヒ・ポマー
出演者ヴェルナー・クラウス
撮影ウィリー・ハマイスター
公開 1920年2月
1921年5月
上映時間71分
製作国 ドイツ国
言語ドイツ語
テンプレートを表示

『カリガリ博士』(原題:Das Cabinet des Doktor Caligari)は、1919年に制作され、1920年に公開された、ロベルト・ヴィーネ監督による、革新的なドイツサイレント映画である。本作品は、一連のドイツ表現主義映画の中でも最も古く、最も影響力があり、なおかつ、芸術的に評価の高い作品である。

フィルムは白黒フィルムが使用されているが、場面に応じて緑、茶色などが着色されている。
概要

本作は、精神に異常をきたした医者・カリガリ博士と、その忠実な下僕である夢遊病患者・チェザーレ、およびその二人が引き起こした、ドイツ山間部の架空の村での連続殺人についての物語である。本作は、登場人物の一人であるフランシスの回想を軸にストーリーが展開する。初期の映画では直線的なストーリー進行が大半を占めたが、本作品は、その中でも複雑な話法が採用された一例でもある。
ストーリー

冒頭、フランシスが隣の男と会話を交わしている様子と、その横を茫然自失のようであてどもなく歩く、美しく若い女性が描かれる。フランシスはその女性が自分のフィアンセであること、そして二人が体験した世にも奇妙な体験を連れの男に語り始め、これより回想シーンが続く。

フランシスは、友人のアランと、村にやって来たカーニバルを見に出かけた。彼らはカリガリ博士という人物と、博士の見世物である眠り男チェザーレの似顔絵に目をとめた。博士は、チェザーレが23年間箱(cabinet)の中で眠り続けていること、また、彼は尋ねられればどんな質問にも答えられると口上し、客を呼び込んでいた。二人は博士の小屋に入り、見世物が始まった。箱から出てきたチェザーレに、アランが悪戯心で「自分はあとどれくらい生きられるのか?」と尋ねたところ、チェザーレの答えは「長くはない、明日の夜明けまで。」だった。翌朝フランシスは、村人からアランが何者かに殺されたことを知らされた。その他にも村では、以前一人の役場の職員が殺されており、この職員はカリガリ博士が役場を訪れたときに博士を邪険に扱った人物でもあった。

疑念を抱いたフランシスは、彼が思いを寄せるジェーンとその父親のオルセン博士と共に、カリガリ博士とチェザーレの身辺を調査し始めた。危険を察知した博士は、チェザーレにジェーンを殺害することを命じ、同時に周囲を欺くためにチェザーレの替え玉人形を用意した。チェザーレはジェーンの部屋へ侵入しナイフをふりかざすが、ジェーンの美貌に心を奪われる。眠り男は殺すのをためらったままジェーンを抱きかかえ、彼女の家から連れ去るが、その後を村人たちが追っていた。追跡のさなか、チェザーレは心臓発作により命を落としてしまう。

一方、フランシスは警官たちとともにカリガリ博士の見世物小屋を訪ね、チェザーレとの面会を強要した。しかし、眠り男が眠っているはずの箱の中にあったのは、博士が用意していた替え玉の人形だった。逃亡した博士は村の中の精神病院へ逃げ込んだ。フランシスがその病院で「カリガリという名の患者」の所在を尋ねたところ、病院の職員に案内されたのは、院長室だった。その中にいたのは、まぎれもないカリガリ博士であった。

フランシスは、博士が別宅で寝ているのを見計い、病院の職員たちの助けを借りて、深夜に院長室に侵入する。部屋の中を探索したフランシスたちは、夢遊病者を使った殺人を犯した見世物師について描かれた古い本を発見した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef