カリアクおよびプティト・マルティニーク属領
Carriacou and Petite Martinique
属領
プティトマルティニーク島(手前)とカリアク島(奥)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯12度29分0秒 西経61度27分42秒 / 北緯12.48333度 西経61.46167度 / 12.48333; -61.46167
カリアク島・プティトマルティニーク島(カリアクとうおよびプティトマルティニークとう、Carriacou and Petite Martinique)はグレナダの属領(Dependency)である[1]。カリブ海のグレナディーン諸島のうち、カリアク島とプティト・マルティニーク島および周辺の島嶼から成る。中心地はカリアク島にあるヒルズボロ[2]。両島は主権国家のセントビンセント・グレナディーンとの国境に近接しており、プティトマルティニーク島とセントビンセント・グレナディーン領プティ・セントビンセント島間は1キロメートルにも満たない。面積は34平方キロメートル、人口は6,010人(2019年推計[3])。自治地域と位置付けられているが、現時点では独自の政府を持っていない。
別名は南部グレナディーン諸島(Southern Grenadine Islands)で[4]、同諸島をセントビンセント・グレナディーンと南北に分割していることに由来する。カリアク島は先住民カリブ族言葉のKayryouacouが由来で珊瑚礁の土地を意味し、プティトマルティニーク島はマルティニーク島から来たフランス人漁師がプティ(小さな)マルティニークと名付けた事による。 500年から1000年頃にはアラワク族やカリブ族など先住民が居たとされている。1656年グアドループからフランス人宣教師ジャン・バティステ・デュ・テルトル カリアク島とプティトマルティニーク島は1944年に1つの選挙区となった。独立前の1973年に制定されたグレナダ憲法では独自の議会の設置が明文化されている(第9章107条[5])。これを受け「1995年カリアク島およびプティトマルティニーク島郡議会法(Carriacou and Petite Martinique County Council Act 1995)」が成立したものの、2019年時点では施行されておらず未設置のままである[6]。グレナダの内閣には属領の業務を「カリアクおよびプティトマルティニーク政務・地方自治省(Ministry of Carriacou & Petite Martinique Affairs & Local Government, MOCPM)」が設けられており、現職の大臣はキンドラ・スチュワート(Kindra Maturine-Stewart)[7]。
歴史
政治