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カラー柔道着(カラーじゅうどうぎ)とは、白、生成色(オフホワイト)以外の色を用いた柔道着のこと。別名カラー柔道衣(カラーじゅうどうぎ)、ブルー柔道着(ブルーじゅうどうぎ)[1]、ブルー柔道衣(ブルーじゅうどうぎ)。 発祥地の日本において、柔道着は伝統的に白または生成色が当然とされ、世界へ広まる際もそれが長らく不文律であった[要出典]。 しかし、1988年5月にスペインのパンプロナで開催されたヨーロッパ柔道選手権大会において、初めて青の柔道着を着用する選手が現れた。一方の選手が白を着用し、もう一方が青であった。「審判にとっても、観客やテレビの視聴者にとっても色が違うほうが分かりやすい」として誤審も減るとしている。青を選んだ理由は一番映えるとしたから。 当時会場にいた講道館国際部長の安部一郎は「ひとめ見ていやーな予感がした」としていた[2]。 ヨーロッパ柔道連盟(EJU) 当時のコンテスト・ルール第三条にある「柔道着は白またはオフホワイト」のルール改正を求め、ソウルオリンピック開催中の1988年9月23日、国際柔道連盟(IJF)の技術総会で提案するも反対意見が多く、幸先は良くなかった[3]。 1989年のIJF総会では賛成50、反対87で、討議では伝統を重んじる日本、アメリカ、オセアニアの連盟代表らが反対したため導入は見送られた。 1993年、欧州柔道連盟40か国が1988年のカラー柔道着を欧州選手権に導入したことでテレビ局や広告代理店と契約できたと強調し、再度ルールの改正をIJFに提言。9月27日、カナダ・ハミルトンで行われたIJF総会でカラー柔道着導入問題は賛成52、反対92、無効2で再び否決された[4]。 しかし、日本が「伝統と文化」を主張し反対票を取り付けた1989年とは異なり、経済格差を背景にした理由のほうが多かった。 アフリカ柔道連盟の代表は「アフリカ諸国は経済的に苦しく、ひとりで白と青の柔道着を持つ経済負担は大きい」と話した[5]。また、インド代表の「欧州でスポンサーが付いたところでインドには何もリターンがない。追加費用が増えるだけだ」という意見には、会場から拍手が起きるほどであった。 一方、日本の代表には発言権が与えられず、「伝統」や「文化」の観点に基づく言及は一度もなかった[要出典]。一方で、鹿屋体育大学の中村勇は論文で日本の代表の全柔連が「白色は創始国日本の伝統文化に基づく」という主旨を含む反対のスピーチをしたとしている[6]。 EJUは1994年1月14日の理事会で今春から欧州での国際大会にカラー柔道着の導入を決議。これに対して全日本柔道連盟は1994年3月5日からのハンガリー国際大会に日本選手を派遣しないことを決めた[7]。 これを受け4月13日、EJUのクルト・クッチェラー なおドイツは「日本選手が参加しない国際大会は格が落ちる」としてカラー柔道着反対派に回っている[8]。 1995年9月、IJF会長に就任した朴容晟
経緯
ルール改正の動き
再改正の動き
「冷戦」が望まれています。
カラー柔道着導入の決定が望まれています。