カラム・キース・レニー
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カラム・キース・レニー
Callum Keith Rennie
2011年撮影
別名義Callum Renney, Callum Rennie
生年月日 (1960-09-14) 1960年9月14日(63歳)
出生地 イングランドサンダーランド
国籍 カナダ
職業俳優
活動期間1989年 -
主な作品
映画
メメント
ブレイド3
スティクス ?冥界の扉?
天才スピヴェット
フィフティ・シェイズ』シリーズ
ブルーに生まれついて
俺たち喧嘩スケーター2: 最後のあがき
ジグソウ:ソウ・レガシー』テレビドラマ
GALACTICA/ギャラクティカ
THE FIRM ザ・ファーム 法律事務所
高い城の男

 受賞
ジェミニ賞
1997年、子供若年層向け作品演技賞『My Life as a Dog』
ジニー賞
1999年、助演男優賞『Last Night』
2011年、連続ドラマ主演男優賞『Shattered』
その他の賞
2003年、バンクーバー映画批評家サークル賞カナダ映画男優賞『Flower & Garnet』

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カラム・キース・レニー(Callum Keith Rennie、1960年9月14日 - )は、イギリス生まれのカナダ俳優
人物

カナダの映画およびテレビに出演し、連続テレビドラマ『騎馬警官』のスタンリー・レイモンド・コウォルスキ役で世界的に知られるようになった。カナダ国内外の125作以上に出演し、『GALACTICA/ギャラクティカ』のレオーベン・コノイ役、その後のShowtimeの連続テレビドラマ『カリフォルニケーション』のレコード・プロデューサーのリュウ・アシュビー役で広く知られるようになった。また、映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の主人公アナスタシアの父親役や、テレビドラマ『高い城の男』のゲイリー・コーネル役などで知られる。映画およびアメリカの連続テレビドラマへの数多くのゲスト出演で悪役に配役されることが多いが、カナダの作品に定期的に出演して幅広い役柄を演じ、数々の賞を受賞している。
生い立ち

1960年9月14日、イングランドダラム郡サンダーランドに中流階級のスコットランド人の両親のもとに3人兄弟の次男として生まれた[1]。4歳の時に一家はカナダに移住し、アルバータ州エドモントンで育った[2][3][4]。ストラスコナ高校に進学し、コメディ・グループのキッズ・イン・ザ・ホールのブルース・マッカローと知り合い、友人となった。[5][6]。卒業後にカレッジに進学したが中退して様々な職を転々とし、エドモントンを離れてバンクーバーやトロントに短期間滞在して最終的にバンクーバーに落ち着いた[5][6]。若年期を深刻なアルコール依存症で過ごしたが、33歳で克服して俳優業に専念するようになった[2][7]

絵画、特にジャン=ミシェル・バスキア、ロバート・マザウェル、ジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義を好み、右腕のチャンピオン点火プラグのロゴのタトゥーはスチュアート・デイヴィスへのオマージュである[2]。若い頃登山に熱心に取り組んでおり[8]、現在もホッケーなど様々なスポーツに挑戦し、中でもゴルフを好んでいる[4]
経歴
初期

アルバータ大学の校内ラジオでの活動により、25歳で演技に目覚めた。エドモントンのA.B.O.P.シアターにてフランツ・カフカの小説『失踪者』の舞台でキャリアを開始し、エドモントン・インターナショナル・フリンジ・フェスティバルでのデヴィッド・マメット作『American Buffalo』で批評的称賛を得た。バンクーバーのブルハンスキ・シアター・スタジオに通った後、1989年、タッチストーン・シアターのサリー・クラーク作『Lost Souls and Missing Persons』の舞台でプロデビューした。1990年、これによりショー・フェスティバルに招待され、『Man and Superman』、アーサー・ウィング・ピネロ作『Trelawny of the Wells』に出演した[2]
1993年?2001年

1990年撮影、1993年公開のカナダのインディペンデント映画『Purple Toast』で映画デビューした。1993年、『暗黒の戦士 ハイランダー』、『Forever Knight』、『新アウターリミッツ』などのテレビドラマに端役で出演するようになった。その後テレビ映画『Paris or Somewhere』(1994年)、『For Those Who Hunt the Wounded Down』(1996年)などで主演するようになりカナダで知名度が上がっていった。『For Those Who Hunt the Wounded Down』撮影中に意見の相違が複数あり、CBCには二度と出演しないと誓ったが、カナダの芸能界を支持し続けている。『X-ファイル』に初出演後にアレックス・クライチェック役をオファーされたが、当時はテレビドラマへのレギュラー出演に興味がなく断った[6]。マイク・フルブーン監督脚本のインディペンデント短編映画『Frank's Cock』に出演した他、ミナ・シャム監督脚本の『Double Happiness』でサンドラ・オーの相手役を演じてジニー賞助演男優賞にノミネートされるなど、カナダの映画界で急速に存在感を増し、より大きな役を得るようになった。リメイク版連続テレビドラマ『ニキータ』でも重要な役割を演じている。

キャリア初期の最も主要な役は、ブルース・マクドナルド監督の映画『Hard Core Logo』(1996年)のギター奏者ビリー・タレント役、150ヶ国以上で放映されたCTVの連続テレビドラマ『騎馬警官』シーズン3および4のスタンリー・レイモンド・コウォルスキ刑事役であった。カナダのバンドであるビリー・タレントは『Hard Core Logo』のビリー・タレントから名付けられた[9]。『騎馬警官』では「不機嫌で見た目悪くない二日酔い」の役柄としてエッジを利かせたとされる[6]

ドン・マケラー主演のカルト・ドラマ『Twitch City』でコンビニ・グルーのニュービー役、複数の賞を受賞した『Da Vinci's Inquest』のボビー・マーロウ刑事役で準レギュラーとなった。

1999年、ドン・マケラー監督脚本主演の映画『Last Night』のクレイグ・ツウィラー役の演技で初のジニー賞を受賞した。1999年にデヴィッド・クローネンバーグ監督脚本製作の『イグジステンズ』に出演後、2000年、クリストファー・ノーラン監督脚本の『メメント』の悪役ドッド役で初めて世界的なヒット作となった。


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