カラジョルジェヴィッチ家
Kara?or?evi?
Кара?ор?еви?и
王室
貴族
国 セルビア王国
ユーゴスラビア王国
当主敬称国王陛下
創設1804年2月14日
家祖カラジョルジェ
最後の当主ペータル2世
(王家としての滅亡)
現当主アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ(第5代)
滅亡1945年11月29日
(共産党政権によって王政廃止、ユーゴスラビアから追放)
民族セルビア人(南スラヴ人)
カラジョルジェヴィチ家(カラジョルジェヴィチけ、セルビア語 : Kara?or?evi?/Кара?ор?еви?и)は、近代セルビア王国およびユーゴスラビア王国の王家。第1次セルビア蜂起の指導者カラジョルジェに始まる家系。1842年から58年まで及び1903年から45年にかけて指導者、君主を輩出した。1945年、ユーゴスラビアの共和制移行により王位から退けられ、亡命生活を送っていたが、2001年に帰国を果たした。 ペータル
カラジョルジェヴィチ家の人物カラジョルジェことジョルジェ・ペトロヴィチ
「カラジョルジェ」とは、黒いジョルジェを意味する渾名である。
カラジョルジェ(ジョルジェ・ペトロヴィチ)
オスマン帝国に反抗するナショナリズム運動である第1次セルビア蜂起の指導者。
セルビア公国アレクサンダル公
アレクサンダル・カラジョルジェヴィチ(1806年 - 1884年) 在位(1842年 - 1858年)
カラジョルジェの息子。セルビア公。
セルビア王国
ペータル1世(1844年 - 1921年) 在位(1903年 - 1918年)
アレクサンダル・カラジョルジェヴィチの息子。セルビア国王。
セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国
ペータル1世(1918年 - 1921年)
セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の建国にともない国王に推戴される。
アレクサンダル1世(1891年 - 1934年) 在位(1921年 - 1929年)
ペータル1世の息子。セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の国王。
ユーゴスラビア王国
アレクサンダル1世 在位(1929年 - 1934年)
国名をユーゴスラビア王国に改称。独裁者としてふるまったすえに暗殺された。
ペータル2世(1923年 - 1970年) 在位(1934年 - 1945年)
アレクサンダル1世の息子。ユーゴスラビア国王。第二次世界大戦に際して連合国側に立とうとしてドイツ軍の侵略を受け、国外に亡命。戦後、共和制移行とともに廃位されアメリカで死去した。
パヴレ・カラジョルジェヴィチ(1893年 - 1976年)
アレクサンダル1世の従弟。幼少のペータル2世に代わって摂政を務めた(1934年-1941年)。第2次世界大戦では枢軸国側に立とうとしたが、国王ペータルの主導するクーデタにより摂政の地位を追われた。
アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ(1945年 - )
ペータル2世の息子。亡命先のロンドンで誕生。当時のユーゴスラビアの王位継承法では、ユーゴスラビアの領土内で誕生した者にしか王位継承権を認めないとされていたため、イギリス政府が特別措置として王妃アレクサンドラが出産に使用した一室(クラリッジスホテル212号室)を分娩の当日だけユーゴスラビアの領土として割譲したというエピソードが残る。父の死後カラジョルジェヴィチ家の家長となりアレクサンダル2世を名乗る。2001年にユーゴスラビアの体制変革により帰国、没収されていた王室財産の返還を受けて旧王宮に居住している。ちなみに現在もユーゴスラビア王国及びセルビア王国の王位請求権はなお放棄しておらず、現在も「皇太子殿下」が公式の称号である。
系図
(-1787)
ジョルジェ・ペトロヴィチ
(カラジョルジェ)
(1752-1817)
アレクサ
(1801-1830) アレクサンダル
セルビア公
ゾルカ
(モンテネグロ王ニコラ1世娘) ペータル1世
セルビア王
ユーゴスラビア王 アンドレイ アルセン
ジョルジェ アレクサンダル1世
ユーゴスラビア王 マリア
(ルーマニア王フェルディナンド1世娘) パヴレ
摂政
アレクサンドラ
(ギリシャ王アレクサンドロス1世娘) ペータル2世
ユーゴスラビア王 トミスラヴ アンドレイ アレクサンダル ニコラ