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カメハメハ大王
Kamehameha I
ハワイ国王
カメハメハ1世
在位1795年 - 1819年
全名Kalani Pai?ea Wohi o Kaleikini Keali?ikui Kamehameha o ?Iolani i Kaiwikapu kaui Ka Liholiho K?nui?kea
出生1758年(諸説あり)
ハワイ王国 ハワイ島カパアウ
死去1819年
ハワイ王国
王太子カメハメハ2世
配偶者カアフマヌ
王朝カメハメハ
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カメハメハ1世(Kamehameha I、1758年 - 1819年、生年は諸説あり)は、ハワイ諸島を初めて統一して1810年にハワイ王国を建国し、初代国王となった人物である。カメハメハ大王の名でも親しまれる。「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」、「静かな人」の意。なお、ハワイ語は文字を持たない言語であった関係で、古い文献などではハメハメハ (Hamehameha) と表記される例も見られる。 ハワイ島のカパアウで生まれたなど諸説があり、生まれ年もはっきりしないが、いずれにしろ北西部で幼児期を過ごしていて、カパアウの町中に彼の像が建てられ、隣町のハヴィ郊外のモオキニ・ヘイアウに彼の誕生地が祭られている。ハワイ島の首長であったカラニオプウの甥にあたるといわれる。 青年期にはヒロで「ナハの石」を動かしたので、将来ハワイ全体の王様になるなどの伝説がいろいろと伝えられている[1]。 叔父の死後、その長男のキワラオを倒して島内を掌握すると、イギリスから武器や軍事顧問などの援助を受け、マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服していった。 政敵が火山の噴火や外敵などにより壊滅状態になったことも統一に幸いした。18世紀末までにはカウアイ島、ニイハウ島を除く全地域を支配下におさめ、1810年にこの2島もカメハメハに服属して国家統一を成し遂げた。 カメハメハは優れた外交手腕でイギリスやアメリカ合衆国などの西洋諸国との友好関係を維持してハワイの独立を守り、伝統的なその文化の保護と繁栄に貢献した。また、カメハメハ1世が作った「ママラホエ」と呼ばれる法律は、戦時における非戦闘員の人権を保護するものであり、今日では世界中で受け入れられている先駆的なものであった。副王としてカメハメハ2世、および3世を補佐して旧習撤廃に努めたカアフマヌがいる。 1789年冬、アメリカ人メットカーフ親子が率いるエレアノラ号とフェアー・アメリカン号がハワイ島を訪問した際、トラブルにより100人余りの島民の命を奪う事件が起こった。これに恨みを持った首長カメイアイモク それ以来カメハメハ1世は火器と火薬の調達にいそしみ、火器の使用法や管理法に習熟した白人の顧問を迎え入れた。1804年には、600挺のマスケット銃、14門の大砲、40門の旋回砲、6門の小型臼砲を保有するに至った。 他の二体は生誕地であるハワイ島北部のカパアウと東部のヒロにあり、いずれも大王と深く関係した土地である。
プロフィール
国家統一
優れた外交感覚
カメハメハ軍の装備
大王像「en:Kamehameha statues」を参照