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カメオ出演(カメオしゅつえん、cameo appearance / cameo role)は、俳優や歌手・監督・漫画や小説などの原作者、時には政治家やスポーツ選手などがゲストとしてとても短い時間、映画やドラマ・アニメ・舞台に出演すること。遠目からでもはっきりと分かる装飾品のカメオからそう呼ばれるようになったが、元々は主役以外に有名スターを起用することを意味していた[1]。英語のcameoには「名場面」「山場」という意味もある。
日本国外では単に「cameo」と呼ばれることもある。スーパーエキストラという扱いの場合もある。 監督や主演俳優(女優)の友人や、原作者、作品のモデルとなった人物や作品に由縁の深い人物などが出演する。端役以下がほとんど。
事例
実写作品
チャールズ・チャップリンは『巴里の女性』(1923年)および『伯爵夫人』(1967年)では監督・脚本に専念したが、どちらにも一瞬だけ出演している[2][3]。
1924年には、エリック・サティとその友人たちが無声映画『幕間』(バレエ『本日休演』の幕間に上演された)に出演した。
アルフレッド・ヒッチコックは自身の監督した作品(1927年-1976年)に頻繁に出演している(詳細はアルフレッド・ヒッチコックのカメオ出演一覧を参照)。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1956年の『八十日間世界一周』以来、カメオ出演はハリウッドなどでもお遊びとして取り入れられ、監督の人脈が映画の中で活かされている[要出典]。
小説『野獣死すべし』が1959年に映画化された際、原作者の大藪春彦が学生役でカメオ出演している。
パブロ・ピカソは、ジャン・コクトー監督の映画『オルフェの遺言』(1960年)に自身の役でカメオ出演している。
テレビドラマ『あかつき』(1963年-1964年)第235話に原作者の武者小路実篤が出演している。
脚本家の金城哲夫は、テレビドラマ『ウルトラQ』(1966年)第10話「地底超特急西へ」および同『ウルトラマン』(1966年 - 1967年)第18話「遊星から来た兄弟」(脚本も担当)にカメオ出演している[4][5]。
『私が棄てた女』(1969年、日活)には原作者の遠藤周作が医者役でカメオ出演している。
『日本沈没』(1973年)では原作者の小松左京が研究員として出演している[注 1]。
リチャード・マシスンは、『ゴッドファーザー PART II』(1974年)および『ある日どこかで』(1980年)にカメオ出演している。
映画『ジョーズ』(1975年)において、原作者であるピーター・ベンチリーがカメオ出演している[6]。
特撮テレビドラマ『快傑ズバット』(1977年)第10話「野球の敵を場外へ飛ばせ」では、原作者の石森章太郎が架空のトーク番組に出演した元プロ野球選手の同姓人物(石森選手)役[注 2]でカメオ出演しているが、脇役(メインゲスト)として扱われており、中盤以降から本編終了まで台詞無しながら一貫して出演した。
『白昼の死角』(1979年)の映画版で、原作者の高木彬光がエキストラでカメオ出演している。
スティーヴン・スピルバーグは、『ブルース・ブラザース』(1980年)、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)、『グレムリン』(1984年)、『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(1997年)、『バニラ・スカイ』(2001年)にカメオ出演している。
映画『2010年』(1984年)において、原作者のアーサー・C ・クラークがカメオ出演している。
TBSの2時間ドラマ『翔んでる警視』(1986年)および『翔んでる警視II』(1987年)には、原作者の胡桃沢耕史がカメオ出演している。
映画『地獄のデビル・トラック』(1986年)や『ペット・セメタリー』(1989年)などでは、原作者のスティーヴン・キングが出演している。
マイルス・デイヴィスは『3人のゴースト』(1988年)にストリート・ミュージシャン役でカメオ出演している。
長渕剛主演で、自身の楽曲を原作かつ主題歌とし、長渕の主演作品としては初めて地元・鹿児島県を舞台とした作品である『とんぼ』(1988年)の鹿児島パートで、主役が無名時代から帰省するたびに必ず会うほど親交が深く、同県にあるTBS系列局の南日本放送(MBC)アナウンサーである植田美千代[注 3]が近隣住民の役でカメオ出演していた。