カミーロ・ホセ・セラ
Camilo Jose Cela
誕生 (1916-05-11) 1916年5月11日
ア・コルーニャ県パドロン
死没2002年1月17日(2002-01-17)(85歳)
マドリード
職業著作家
国籍 スペイン
ジャンル小説
主な受賞歴アストゥリアス皇太子賞(1987年)
ノーベル文学賞(1989年)
プラネータ賞(1994年)
セルバンテス賞(1995年)
パートナーロサリオ・コンデ(1944年-1990年)
マリーナ・カスターニョ(1991年-2002年)
子供カミーロ・ホセ・セラ・コンデ(英語版)(著作家)
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1989年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:人間の脆弱性の挑戦的なビジョンを形成する、自制的な憐憫を含んだ、豊穣で徹底した散文に対して。
カミーロ・ホセ・セラ・トルロック(Camilo Jose Cela Trulock, 1916年5月11日 - 2002年1月17日)は、スペイン・ア・コルーニャ県パドロン出身の著作家。カミロ・ホセ・セラまたはカミーロ・ホセ・セーラと表記されることもある。1989年にノーベル文学賞を受賞した。1930年代のスペイン内戦終結後のスペイン文学を刷新した人物と評価されている[1][2]。
経歴
青年時代(英語版)地区に生まれた[1]。9人兄弟の長男である[3]。父親のカミーロ・クリサント・セラ・イ・フェルナンデスはガリシア地方出身であり、地方新聞社を経営しつつ税関の役人でもあった。母親のカミーラ・エマヌエラ・トルロック・イ・ベルトリーニもガリシア地方出身だが、イギリスのイングランドとイタリアにルーツを持っていた。セラ家は上位中産階級だった[3]。
1921年から1925年までは家族とともにア・コルーニャ県ビーゴに住んだ。9歳だった1925年には一家でマドリードに転居し[1]、エスコラピオス修道会の学校で学んだ。1931年には結核と診断されたため、グアダラマ山脈に近い療養所に入り、自由時間には小説『Pabellon de Reposo』の執筆に取り組んだ。療養のさなかには、哲学者のホセ・オルテガ・イ・ガセットや劇作家のアントニオ・デ・ソリス・イ・リバデネイラ(英語版)の作品を集中的に読んだ。