カミーユ・ソワイエクール
[Wikipedia|▼Menu]

カミーユ・ド・ソワイエクール
カミーユ・ド・ソワイエクール
神の僕
他言語表記Camille de Soyecourt
生誕1758年6月25日
フランス王国
死没1849年5月9日
フランス共和国
テンプレートを表示

カミーユ・ド・ソワイエクール(Camille de Soyecourt, 1758年6月25日 - 1849年5月9日)は、フランスカトリック教会カルメル会修道女
生涯

ソワイエクールはピカルディの裕福な貴族の娘として生まれ、1784年、パリ・ゲレネ通りのカルメル会修道院に入り、「幼いイエスのカミーユ」と名乗る[1]1789年フランス革命勃発、修道院は閉鎖され、1793年、革命政府により投獄された。母は獄死、父は処刑されたが幸いにも財産は国外に持ち出されたため、彼女に相続された[1]。恐怖政治は終わり平和が戻ると、1797年、政府に没収されていた男子カルメル会修道院を買い取り、還俗していた修道院仲間と共に移り住んだ。しかしナポレオン・ボナパルト台頭により平服での修道生活を余儀なくされた。

ソワイエクールは財産を修道院復興に使い、1798年から1807年にかけてフランス各地の修道院を再建した[1]1813年、ナポレオン1世によって監禁されたローマ教皇ピウス7世に援助していたことが発覚し逮捕。厳しい尋問を受けパリから追放され、ギーズ(フランス語版)に退いた[2]1814年、ナポレオンが退位させられエルバ島に流されると、ソワイエクールはパリに戻り、数名のカルメル会士と共に修道生活を再開した。しかし1815年、ナポレオンがエルバ島から脱出し「百日天下」を始めると修道院は弾圧、解散させられた。ナポレオン失脚後、ソワイエクールはヴォジラール通りの修道院を再開、1845年、サクス大通りの一地区に移転させた。1849年、帰天。享年91。

1935年、カトリック教会によりソワイエクールの列福調査が開始された[3]
出典

トマス・ロアバック 『カリットへの旅』 サンパウロ、
2003年

脚注^ a b c 『カリットへの旅』p.585
^ 『カリットへの旅』p.586
^ 『カリットへの旅』p.587

関連項目

フランス革命










カルメル会
カルメル会士

アビラのテレサ

十字架のヨハネ

リジューのテレーズ

井上洋治

エーディト・シュタイン

奥村一郎

オットー・ブルンフェルス

カミーユ・ド・ソワイエクール

三位一体のエリザベト

ジョルジュ・ティエリ・ダルジャンリュー

ティトゥス・ブランズマ

テレーザ・マルゲリータ・レディ

バルブ・アカリー

フランシスコ・パラウ

フランソワーズ・ダンボワーズ

ヘルマン・コーエン

ホアキナ・デ・ベドゥルナ

マリー=ウジェーヌ・ド・ランファン・ジェジュ

森一弘

御復活のラウレンシオ

ラファエル・カリノフスキー


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef