カマボコ
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蒲鉾
紅白の板蒲鉾
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蒲鉾(かまぼこ)は、練り製品の一つである。原料魚にはタラ類、サメ類、イトヨリ、ベラ類他の白身魚が使用される。原料魚を脱水砕肉し、塩や卵白など副原料を添加して成形加熱する。なお一般に練り製品は細菌カビなどでいたみやすい[1]。製法により、などの小板に半円筒形にいわゆるかまぼこ型にもりつけた「板かまぼこ」、麦わらなどに巻きつけた「(簀)巻かまぼこ」、薄く削ったかまぼこを乾燥させた「削りかまぼこ」などがある[2]
目次

1 歴史

2 製法

3 分類

4 形態

5 食べ方

6 産業

7 産地

8 関連用語

9 参考画像

10 脚注

11 関連項目

12 外部リンク

歴史

古くは材料をの棒に筒状に巻いて作った。その形が(がま)の穂に似ていることから、「蒲鉾」と呼ばれるようになったとされる[3]。この最初期の蒲鉾は現在のような海水魚ではなく、主に淡水魚ナマズを原料としていた。竹を抜き去ると現在の竹輪の形になる。後に板の上に成形した「板蒲鉾」が登場し、区別のために「竹輪蒲鉾」と呼び分けていたが、元祖の方は「蒲鉾」が脱落して単に「ちくわ」となり、板蒲鉾の方は逆に板が外れて「蒲鉾」になった[4]平安時代の『類聚雑要抄』には藤原忠実が永久3年(1115年)に転居祝いに宴会を開いた時のを刺したかまぼこが載っている[5]。これを確認できる最古の文献上のかまぼこであるとして、業界団体がその数字をとって11月15日を蒲鉾の日としている[6]

白身の魚は高価であり、蒲鉾もご馳走と考えられた。時に贈答品として用いられ、御節料理にも利用される。豊臣秀頼の大好物であったと伝えられ、本能寺での織田信長の最後の晩餐にも供された。なお、かまぼこが商品として販売されるようになったのは江戸時代以降、食品工業的な生産が行われるのは明治以降とされる[5]

武家の結婚式では縁起物として欠かせなかったが、経済的に用意できない場合は絵や模造品を持ってこれに代えた。その一つが細工蒲鉾(飾り蒲鉾)であり、次第に庶民の結婚式にも縁起物として出されるようになった。

揚げかまぼこについては比較的歴史が新しく、薩摩藩琉球を支配するようになった17世紀以降に沖縄の「チキアギ(つけ揚げ)」が伝来し、「薩摩揚げ」、あるいは「てんぷら」の名で全国に広まったと考えられている。
製法

原料魚は主にイサキイトヨリダイエソ、オオギス、サメ類、スケトウダラ(スケソウダラ)イシモチ(グチ)ニベハモムツなどである。

板付き蒲鉾では白身魚の白身の部分のみを使用し、赤身や血合肉は用いない。捌いた魚の身をに晒し、身の血液脂肪を取り除く。この身を石臼などですり潰し、砂糖みりん卵白を加えて練り合わせる(本来、塩を加えて練ることで自然に粘り気が生じるのだが、後の整形をしやすくするために増粘安定剤などの食品添加物を加えることもある)。

板付き蒲鉾は、練り合わせた身を「手付包丁(附庖丁、つけぼうちょう)」というへら状の特殊な包丁を用い、「かまぼこ板」に半円状に盛りつけてゆく。機械で盛りつけたり、型抜きで成形されることもある。成形後、蒸すまたは焼くことによってを通す。加熱方法の違いにより「蒸しかまぼこ」と「焼き抜きかまぼこ」に大別されるが、一般に「焼きかまぼこ」と呼ばれるものの多くは表面に焼き目をつけた蒸しかまぼこである。板に盛りつけず、そのまま成形加熱したものもある(リテーナ成形かまぼこ)。

蒸し・焼きの他に茹で・揚げ等で加熱されるものがある。茹でたものがはんぺんつみれに、揚げたものが揚げかまぼこ九州では、つけあげと呼び、沖縄ではチキアギ、東日本では薩摩揚げ、西日本では天ぷらとも呼ばれる)などとなる。これら練り製品も広義の蒲鉾の一つであり、沖縄などでは単にかまぼこと言えば揚げかまぼこを指す場合が多い[7]

かまぼこの歯応えは「足(あし)」と呼ばれ、かまぼこの商品価値を左右する。この「足」は、魚肉の筋原繊維を構成するミオシンのS-S結合(ジスルフィド結合)が、関与している。


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