カマド
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この項目では、調理設備について説明しています。香川県坂出市の和菓子メーカー・和菓子については「名物かまど」をご覧ください。

「竈」はこの項目へ転送されています。竈(くど)については「竈 (くど)」をご覧ください。
かまど かまどでインジェラを焼く。エチオピアにて。

かまど(竈)は、穀物や食料品などを加熱調理する際にを囲うための調理設備。
目次

1 概要

2 東洋のかまど

2.1 中国

2.2 日本

2.2.1 構造

2.2.2 歴史

2.2.3 世界に進出する改良型日本式かまど


2.3 インド


3 西洋のかまど

3.1 構造

3.2 歴史


4 脚注

5 関連項目

概要 グアテマラのかまど。3つの石で土鍋を支える ロシアの伝統的なペチカ

調理などで煮炊きをする場合、古くは囲いの無い直火に鍋などを加熱する方式によって食品の加熱調理が行われていたが、周辺に熱が放射などの形で逃げる他、煤煙が漂う・火がで揺らぐなど効率が悪いため、セメントで作られるかまどが発明された。

これらでは)といった直接的なバイオマス燃料や、などのバイオマス加工燃料が固形の燃料として用いられる。また地域によっては石炭家畜の乾燥させたが利用される場合もある。

このかまどの発達により、調理者は裸火による直接的な放射熱に晒されなくてすみ、より高温の炎で調理することが出来るため調理時間の短縮にも繋がり、また調理方法も様々なバリエーションを生むようになり、今日ある調理方法のほとんどは、このかまどによってその原型が確立された。

更に言えば、かまどの発達は文明の発達に大きく寄与したとも考えられる。調理の一極化や専門化を生み、かまどを中心に人が集中するようになり、従来の炉が調理に手間が掛かっていたために食が賄える人の数はそれほど多くなかったのに対し、かまどでは高温での連続集中調理で多くの人の食事が賄え、これにより人口の集中が発生、そこに文明が育まれた。

かまどは調理専門に火を焚く設備であるため、暖房や照明としての火が必要ない、温暖な地域で使用される場合が多い。しかし、かまどから吐き出される煙の熱気を利用した合理的な暖房システムが、寒冷なアジア北部とヨーロッパ北部に存在する。朝鮮オンドル中国北部の?(カン)は、かまどの排気を床下に通して部屋を暖める床暖房である。原理はどちらもそれぞれ同じだが、日本と同じく「履物を脱いで部屋に上がる」朝鮮では部屋全体を暖め、室内でも靴を脱がない中国では寝床のみ暖めるところに違いがある。部屋の中では焚口、つまり台所に近い場所が暖かいため、「上座」とされる。暖房が必要ない夏季は、オンドルに繋がらない夏専用のかまどを使用する。日本でも、神社やお堂などの公共の場に祭事の炊き出しや暖を取ることを目的としたかまどが併設されていることがある。ロシアペチカは、かまどや暖炉の排気を石やレンガで築いた煙道に通す蓄熱式暖房である。ペチカの上に寝床を設ける事もある。幕末、カムチャッカ半島に抑留された高田屋嘉兵衛は、ペチカで暖房された部屋の快適さを「襦袢のみで過ごせる」と証言している。現在、北海道でも、石油ストーブと組み合わせたペチカが一部で使用されている。

西洋、東洋で長い間利用され、かまどの火はよく神聖化された。

日本では釜で沸かした湯で邪気を払う「湯立神事」のため、かまどを設ける場合もある。愛知県の奥三河地方や長野県の伊那地方には鎌倉時代より伝統的な祭り「花祭」が伝承されている。祭りの際はかまどを築いて湯を沸かし、クライマックスでに扮した踊り手が舞う中、湯が振り撒かれ、邪気を払う。

次第に文明が発達していく中で、調理用の熱源としてガスコンロのような他の燃料による簡便な調理用の炉が利用されるようになると、次第にその役目を終えて姿を消していった。
東洋のかまど

かまどの構造は調理側と焚口側が一致する類型(日本や朝鮮半島のほか、中国のブイ族・ウイグル族リー族の住居など)、調理側と焚口側が直交に分離している類型(中国のサニ族の住居など)、調理側と焚口側が平行二面に分離している類型(中国の華南地域の住居など)などがある[1]
中国

新石器時代には調理用火器として住宅内に設けられた炉である竈が出現した[2]。地面に作り付けのかまどを地竈といい竈台と竈坑がある[2]。竈台は床面から5cmほど高い位置に水平面を設けた炉で、などの脚付きの調理着に適した設備である[2]。一方、竈坑は床面から15cmから20cmほど掘り下げて縁の部分を少し高くした炉で、釜など脚の付かない調理器具に適しており、かまどの起源となった設備である[2]

また壁面に設けた壁竈もあり、龍山文化でみられるこれらの設備の併設は採暖用の炉竈と炊事用の厨竈の機能分化とみられている[3]

さらに新石器時代には地竈や壁竈のほか、持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[4]
日本 伝統的な日本のかまど。煙突が無いため、焚口は排煙を兼ねる。

日本全国で呼称はさまざまである。関西では「へっつい」と呼ばれることが多いが、京都では「おくどさん」という名称が使われていた。

日本では20世紀末ごろには、日常生活では利用されなくなっており、地方農村でも埃をかぶるに任せられている。それでも1950年代頃までは使われていたため、の炊き方などにこのかまどによる調理方法が口伝などの形で残されており、これらは現代の炊飯器でも「美味しいご飯の炊き方」として再現されている。例えば2008年にパナソニックから発売された製品では、その20年前(1988年)から試し炊きだけで3トンもの米を消費しながら改良を続け、製品名に『竈』を含めた「プレミアム炊飯器」をリリースしている[5]

個人所有数は減少しているものの、レジャー施設に併設されるバーベキュー場やキャンプ場には調理器具や食材とセットで気軽に利用できるよう設置されていることが多い。また和食文化でも、飲食店では、日本式のかまどを再現して煮炊きに利用しているところもある。

災害発生時の避難施設に指定されている学校や公園などの公共施設等においては電気・ガス等のライフラインが停止している状態で多数の避難者の食事を提供する必要があることから、かまどの有用性が高く、敷地内に新しくかまどを設置する活動もある。[6]

他にも屋外での催し物等で仮設・移動式の物が使用されている。
構造 煙突が備えられ、やや近代化されたかまど

かまどは簡単な材料で作ることが可能で、使用耐久も長く、修理も比較的簡単なため、広く普及した。

構造としては単純なものでも火を被う囲いと、その上部には鍋や釜といった調理器具を置くための台が一体化しており、また屋内に設置されているものでは戸内に煙が充満しないよう、室外に煙突が設けられ、温度の高い煙は煙突から外へ、放射熱は調理器具の底を熱するようになっている形態が一般的である。

側面には燃料を投入するためと燃え滓(など)を掻き出すための口が設けられており、ここに燃料を投入したり、火の加減を調節するために利用される。この口は地面と同じ高さになっている物も多く、主に土間に設置されていた日本のかまどでは、かまどのすぐ下が土の露出した地面となっていた。

やや高度化すると、燃料を投じる口に金属製の蓋が設けられたり、燃え滓の排出口が戸外に設けられるなどしたものもみられる。日本のかまども社会の高度化に伴って多様化し、七輪のような移動の簡便な焜炉が発展する以前より、長く広く利用されていた。
歴史 江戸後期の商家の銅壷付へっつい。煙突は設けられていない。(深川江戸資料館

もっとも単純な形のは、石を火の周囲に積み上げた物で、キャンプでの飯盒による調理などでおなじみだが、既に石器時代にはそのような炉が登場していたと見られ、当時の遺構にその痕跡が見られる。日本では、古墳時代前期までは、地床炉が用いられるケースが多く、弥生時代後期から古墳時代前期までは炉の上におかれた器台のついた台付甕が用いられていた。古墳時代中期の5世紀には登り窯(窖窯:あながま)の遺構がみられるようになり、須恵器などのための焼成技術として伝来したと推定されている。カマド型の土器もこの時代の遺構から発掘されている。

この時期に朝鮮半島からの伝播をうかがわせる発掘品としては、「韓竈(からかま、からかまど)」と呼ばれる移動式の模型のような「カマド」[7]が複数の遺跡から出土している。


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