カプチン・フランシスコ修道会
Ordo Fratrum Minorum Capuccinorumカプチン会の会章
略称OFM Cap.
設立1525年(フランシスコ会より分派)
設立者マテオ・ダ・バッシ
種類カトリック教会の修道会
目的教会活動、宣教
重要人物ピオ神父
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ローマのサンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ教会
カプチン・フランシスコ修道会(ラテン語:Ordo Fratrum Minorum Capuccinorum, 略称: OFM Cap.)はカトリック教会の修道会の1つ。カプチン・フランシスコ会、カプチン小さき兄弟の会あるいはカプチン会とも呼ばれる。 16世紀はヨーロッパに宗教改革の嵐が吹き荒れた世紀であったが、カトリック教会の教会刷新運動もさかんに行われた(対抗宗教改革)[注釈 1]。フランシスコ会に属したイタリア人司祭のマテオ・ダ・バッシ
歴史
「カプチン会」の名は修道服の頭巾(カプッチョ, イタリア語: cappuccio)に由来する。その印象的な頭巾から人々が呼んだものが正式な名称となった。なお、この「カプチン」は 「オマキザル属」(英語: capuchin)や「カプチーノ」(イタリア語: cappuccino)、和名「僧帽筋」などの語源ともなっている。
1536年、教皇教皇パウルス3世はカプチン会の活動をイタリア国内に限定したが、1574年、教皇グレゴリウス13世はパウルス3世の禁止令を解除し、活動は世界各地に拡大した。当初は「コンベンツァル小さき兄弟会」の庇護下にあったが、1619年に独立の修道会として認可された[1]。日本では1947年に宣教を開始した。
なお、カプチン会特有の遺体埋葬方法としてミイラ保存がある[注釈 3]。 日本におけるカプチン会は、沖縄県那覇市を中心とするカトリック那覇教区で1947年より、北関東4県を担当するカトリックさいたま教区においては2000年より、カトリック福岡教区高宮教会で2011年より活動している。現在の日本の責任者である地区長はアメリカ人のウエイン・F・バーント師である[2]。 沖縄は、第二次世界大戦後にアメリカのカプチン・フランシスコ修道会ニューヨーク管区管轄の琉球使徒座代理区となり、1949年から1972年までフェリックス・レイ師(カプチン会)が代牧を務めた。1972年に琉球代牧区が那覇司教区に昇格し、1973年から1997年までペトロ・バプティスタ石神忠真郎師(カプチン会)が初代司教の任についた。2007年現在の那覇司教はコンベンツァル会出身であるが、カトリック那覇司教区には小禄カトリック教会、聖クララ与那原カトリック教会、普天間カトリック教会の3ヶ所に、カプチン会の主任司祭がいる。このうち、聖クララ与那原カトリック教会(聖クララ教会)については、DOCOMOMO Japan が日本を代表する近代建築の一つとしてDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定している[3]。 カトリックさいたま教区にはカトリック小山教会、カトリック峰教会、の2カ所にカプチン会の主任司祭がいる。 他には、横浜市に事務所を置き、集会活動やテレフォンサービス ローマにあるサン・ロレンツォ・ダ・ブリンディジ国際カレッジはカプチン会系の教育研究機関で、歴史研究所や図書館、博物館などがある。
日本での活動
大学・研究所