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出典検索?: "カプコン"
株式会社カプコン
CAPCOM CO., LTD.
カプコン本社
種類株式会社
機関設計監査等委員会設置会社[1]
市場情報東証プライム 9697
2000年10月18日上場大証1部(廃止) 9697
1993年10月8日 - 2013年7月15日
略称CAPCOM
本社所在地 日本
〒540-0037
大阪府大阪市中央区内平野町3丁目1番3号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分15.1秒 東経135度30分40.9秒 / 北緯34.687528度 東経135.511361度 / 34.687528; 135.511361座標: 北緯34度41分15.1秒 東経135度30分40.9秒 / 北緯34.687528度 東経135.511361度 / 34.687528; 135.511361
設立1979年5月30日
(アイ・アール・エム株式会社)
(創業:1983年6月11日)
業種情報・通信業
法人番号3120001077023
事業内容
コンシューマ用機器販売事業
アミューズメント施設運営事業
業務用機器販売事業
コンテンツエキスパンション事業
代表者
辻本憲三(代表取締役会長CEO)
辻本春弘(代表取締役社長兼社長執行役員COO)
資本金
332億3900万円
(2023年3月31日現在)[2]
発行済株式総数
2億6650万5623株
(2023年3月31日現在)[2]
売上高
連結: 1259億3000万円
単独: 1185億2400万円
(2023年3月期)[2]
営業利益
連結: 508億1200万円
単独: 476億2100万円
(2023年3月期)[2]
経常利益
連結: 513億6900万円
単独: 473億0500万円
(2023年3月期)[2]
純利益
連結: 367億3700万円
単独: 332億4400万円
(2023年3月期)[2]
純資産
連結: 1611億2900万円
単独: 1413億9800万円
(2023年3月31日現在)[2]
総資産
連結: 2173億6500万円
単独: 2201億4400万円
(2023年3月31日現在)[2]
従業員数
連結: 3,332人
単独: 3,027人
(2023年3月31日現在)[2]
決算期3月31日
会計監査人有限責任あずさ監査法人[2]
主要株主
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 15.74%
株式会社クロスロード 10.03%
ジェーピー モルガン チェース バンク 380815 8.26%
株式会社日本カストディ銀行(信託口) 5.43%
辻本美之 3.79%
辻本春弘 2.91%
辻本良三 2.90%
辻本憲三 1.90%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(株式付与ESOP信託口・76744口) 1.88%
SSBTC CLIENT OMNIBUS ACCOUNT 1.53%
(2023年3月31日現在)[2]
主要子会社
株式会社ケーツー 100%
株式会社エンターライズ 100% 他[2]
関係する人物
辻本良三(取締役専務執行役員)
岡本吉起(元・取締役)
外部リンクwww.capcom.co.jp
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株式会社カプコン(英: CAPCOM CO., LTD.[3])は、大阪府大阪市中央区内平野町に本社を置く主にアーケードゲームやコンシューマーゲームの開発・販売を行う日本のゲームソフトウェアメーカー。コンピュータエンターテインメント協会・日本アミューズメント産業協会正会員。 1979年、アイ・アール・エム(IRM)株式会社として設立した。1981年9月に「サンビ株式会社」に商号を変更し、本店を大阪府羽曳野市に移転した。 設立者はIPMの代表取締役だった辻本憲三で、当時のIPMはスペースインベーダーブームの際に社運をかけ、社名を冠した『IPMインベーダー』を発表するもののインベーダーの筐体の市場は1年ほどで飽和状態に陥いる。その状態で下請けから製造の継続を求められ断れなかった。結果10億円分の在庫を多く抱えてしまった[4]。IPMはアイレムと社名変更して仕切り直しを図ろうとする。辻本は同事業に続き、オリジナルゲームの製作に乗り出そうとする。しかし、当時まだコピーゲームがメインだったアイレムで辻本の意見は社内の理解が得られず、結果的に1983年2月3日 辻本を含む3人が退社した。この際インベーダー関連の在庫で被った負債を支払っている。 10億円の借金により自宅さえも売り払い燻っていた辻本は、タイトーの社長ミハエル・コーガンより「お金を出すからビジネスをやってみないか」と言われ、コーガンより1億5千万円を借り、それを元手に新規に会社を立ち上げることになり[5]、(旧)株式会社カプコンを設立した。なお、カプコンという社名は1981年5月にIRMの子会社として設立した「日本カプセルコンピュータ」に由来する。 オリジナルゲームを作ることを目的に設立されたが、当初は開発者こそ多く抱えたものの開発ラインが整わず、比較的安易に製作が可能だったエレメカ(メダルゲーム)で業界に参入する。ビデオゲームとしてはその翌年の1984年発売の業務用縦スクロールシューティングゲーム『バルガス』が第一弾となるが、その後コナミからの転職組藤原得郎、岡本吉起により、名作と謳われるゲームが次々と開発され、徐々にゲーム会社としての知名度を上げていく。
概要