カブトヤマ記念(廃止時)
カブトヤマ(1930-1951)
競馬場福島競馬場
創設1947年11月9日
距離芝1800m
格付けGIII
賞金1着賞金4300万円
出走条件サラブレッド系4歳以上(父内国産馬限定)
負担重量別定重量
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カブトヤマ記念(カブトヤマきねん)は、1947年から2003年まで行われた中央競馬の重賞競走(平地競走)である。 カブトヤマは1933年の第2回東京優駿(日本ダービー)に優勝したほか、現役時代、5度にわたるレコードタイムを更新した実績を誇る昭和初期(戦前)を代表する名馬として知られる。 1947年、第二次世界大戦後に復活開催された最初の東京優駿で、カブトヤマ産駒のマツミドリが優勝。内国産種牡馬として初めてダービー優勝産駒を出したカブトヤマの業績を称え、1947年に中山競馬場で第1回の競走が開催された。第10回(1956年)からは東京(ただし1966、67年は中山)、1980年からは福島(1995、96年、2001年は新潟)と、開催場を変えて開催された。 中山開催の時代は菊花賞の前哨戦として出走してくる牡馬(ただし第1回と第4回は菊花賞よりあと)と、クラシック路線で活躍した牝馬が激突する、出走馬のレベルが非常に高い重賞競走だった。第1回の出走馬には皐月賞・優駿牝馬の変則二冠馬トキツカゼ、サラ系ながら桜花賞・菊花賞を制したもう一頭の変則二冠馬ブラウニー
概要
東京開催の時代は施行時期が菊花賞の後に固定され、「残念菊花賞」という色合いが強いレースになったが、距離が長すぎる、輸送に弱いなどの理由でここ1本に勝負を懸けてきた馬が出走してくることもあり、やはりレベルが高いレースだった。その後クラシック路線で活躍した牝馬はビクトリアカップ(のちエリザベス女王杯)に向かうようになり、出走馬のレベルは低下。1974年からは古馬に開放され、併せて父内国産馬限定戦に変更された。
1970年代以前はクラシック路線以外では関東と関西の交流が少なかったこともあって、東京開催時代までの本レースは関西馬が出走してくることが非常に少なかったレースであり、福島開催に移行した第37回(1983年)のメイショウキングまで関西馬は1勝もしていなかった。
福島開催の時代も父内国産馬限定戦として開催し、福島記念と並ぶ、秋の福島開催の名物レースとして長年親しまれた。2003年の競走は開催スケジュールの見直しを図った関係で春季に繰り上げられたが、これが最後の開催となった。これは、種牡馬リーディング上位を争う内国産種牡馬の登場により、父内国産馬奨励の目的がほぼ達成できたという観点からである。なお、2004年からこの競走に替わる形で同時期・同距離で福島牝馬ステークスがスタートすることとなったが、回次は出走条件が異なることから、一旦カブトヤマ記念を廃止した上での新設扱いとして2004年を第1回とした。また、これと同時に愛知杯も牝馬限定に変更され、さらに2008年からは中日新聞杯も出走資格が父内国産馬限定から混合競走に変更され、これにより中央競馬の父内国産馬限定重賞競走が姿を消すことになった。
保田隆芳が非常に得意としていたレースで、3連覇1回、2連覇2回を含む8勝を挙げている。
なお、カブトヤマは東京競馬場では東京優駿で、福島競馬場では帝室御賞典で勝利を収めている。
歴史
1947年 - 優れた父内国産馬を輩出した同馬の業績を称え、中山競馬場芝1950mの4歳(現3歳)限定の重賞競走、カブトヤマ記念として創設。
1950年 - 施行距離を芝2000mに変更。
1956年 - 施行場を東京競馬場に変更。
1966年 - 東京競馬場の改修工事による振替開催により中山競馬場の芝2000mで施行。
1967年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝2000mで施行。
1974年
施行距離を芝1600mに変更。
出走資格が4歳(現3歳)以上に変更。
出走馬を父内国産馬限定戦に変更。
1980年
施行場を福島競馬場芝1800mに変更。
1994年 - ヒダカハヤトが当競走で唯一となる2度目の優勝。
1995年 - 福島競馬場の改修工事により新潟競馬場の芝1800mで施行。
1996年 - 福島競馬場の改修工事により新潟競馬場の芝1800mで施行。
2001年 - 新潟競馬場の改修工事による振替開催により新潟競馬場の芝1800mで施行。
2002年 - 1位入線のカンファーベストが進路妨害により10着に降着。
2003年 - 開催月を10月から4月に変更。4歳以上・別定重量戦に変更。
2004年 - 廃止。出走条件を変更し福島牝馬ステークスに引き継ぐ。
歴代優勝馬
優勝馬の馬齢は2000年以前の分も2001年以降の表記方法で記載しています。(2000年以前の表記方法に換算するには、1を加えてください。)
回数施行日優勝馬タイム性齢優勝騎手管理調教師馬主
第1回1947年11月9日トキツカゼ2:10 1/5牝3佐藤嘉秋大久保房松川口鷲太郎
第2回1948年11月3日マツシヨウリ2:04 3/5牡3佐藤正二茂木為二郎