カブスカウト
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この項目では、日本におけるボーイスカウトの全国団体について説明しています。

全世界的視点でのボーイスカウトについては「スカウト運動」をご覧ください。

日本でのボーイスカウトについては「日本におけるスカウティング」をご覧ください。

公益財団法人
ボーイスカウト日本連盟
英語: Scout Association of Japan前身財団法人 健志会
設立1922年(大正11年)4月13日
設立者後藤新平
種類公益財団法人
財団法人認可:
1935年(昭和10年)7月1日
公益財団法人認定:
2010年(平成22年)4月1日
法人番号9010005017765
法的地位公益法人認定法
本部 日本
〒167-0022
東京都杉並区下井草
4丁目4番3号
貢献地域 日本
会員数104,086人
平成30年(2018年)
3月31日現在[1]
理事長奥島孝康
提携世界スカウト機構
職員数35人
ウェブサイトhttps://www.scout.or.jp/
テンプレートを表示

ボーイスカウト日本連盟
初代総長後藤新平
本部〒167-0022
東京都杉並区下井草4丁目4番3号
日本
理事長奥島孝康
加盟世界スカウト機構

前身
大日本青少年団
健志会

ウェブサイト
ボーイスカウト日本連盟
new Japanese uniform, as of 2015
 ウィキポータル スカウト

公益財団法人ボーイスカウト日本連盟(ボーイスカウトにほんれんめい、英語: Scout Association of Japan)は、「世界スカウト機構憲章に基づき、日本におけるボーイスカウト運動を普及し、その運動を通じて青少年の優れた人格を形成し、かつ国際友愛精神の増進を図り、青少年の健全育成に寄与すること」を目的とする[2]文部科学省所管の公益法人財団法人)である。目次

1 沿革

2 教育

2.1 部門

2.2 進歩制度


3 ボーイスカウトの少女・女性とガールスカウトとの関係

4 組織

4.1 全国組織

4.2 都道府県連盟

4.3 地区

4.4 団・隊

4.5 班

4.6 団委員会

4.7 指導者

4.8 コミッショナー


5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 関連項目

7 外部リンク

沿革

1908年(明治41年) 日本にボーイスカウト運動が伝わる。駐ベルギー日本大使だった秋月左都夫が、英国ボーイスカウトについての情報を日本に報告。広島高等師範学校(現在の広島大学)の校長だった北条時敬が、万国道徳会議出席のためイギリス訪問の際にスカウト運動についての調査を行い、帰国後、広島県などでスカウト運動に関する講演などを行う。

1910年(明治43年) 文部省督学官として英国留学から帰国した蒲生保郷が、英国ボーイスカウトに関する書籍を桂太郎首相と小松原英太郎文部大臣に贈呈し、政府に「日本でも少年団活動を検討すべし」との建白書を提出する。

1911年(明治44年)ロバート・ベーデン=パウエル卿(以下 B-Pと表記することあり)が訪英中の乃木希典大将と会見。乃木は帰国後に片瀬海岸神奈川県藤沢市)でボーイスカウト式キャンプを実施。神奈川県横浜市在住の実業家であり、日曜学校の教師でもあった英国人クレアランス・グリフィン (Clarence Griffin) が横浜第一隊(英国人12名、米国人3名、デンマーク人2名、ノルウェー人1名。グリフィン隊とも呼ばれた)を結成。兵庫県神戸市在住のイギリス人牧師フレデリック・ウォーカーがウォーカー隊(米国人を主とした27名)を結成。

1912年(明治45年)4月 世界一周旅行中のB-Pが日本を訪問。横浜第一隊 (グリフィン隊)を視察。

1913年(大正2年) 東京で小柴博らによって「少年軍」が設立(この“軍”は、いわゆる軍隊ではなく、救世軍を意図したもの)。大阪基督教青年会(YMCA)内でジョージ・グリーソン (George Gleason) によりスカウト活動を展開(「大阪少年義勇団」の母体)。

1914年(大正3年)

8月 深尾韶静岡県で「静岡少年団」を創設。

9月5日 「大阪少年義勇団」が正式に発会。

12月 東京の「少年軍」が「東京少年団」に改称。


1915年(大正4年)11月1日 大正天皇即位大礼の記念事業として、少年に対する社会教育事業の創設の議が有志者の間に起こり、その一環として「京都少年義勇軍」の結団式が平安神宮で行われる。

1916年(大正5年)8月 京都少年義勇軍によって日本のボーイスカウトによる初野営(キャンプ)が琵琶湖畔の雄松崎(滋賀県志賀町)で行われる。

1917年(大正6年) 訪英した二荒芳徳がスカウト本部を訪問。

1920年(大正9年) 第1回世界ジャンボリー英国ロンドンで開催)。日本からは「東京少年団」の小柴博、「北海道岩内少年団」の下田豊松、「横浜インターナショナル隊」の鈴木慎(鈴木リチャード)の3名が参加。

1921年(大正10年) ロンドンにおいて、欧州訪問中の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)にB-Pが謁見し、英国ボーイスカウトの最高功労章であるシルバーウルフ章を贈呈する。

1922年(大正11年)

4月13日-14日 静岡で第1回全国少年団大会が開催され、ボーイスカウト、各地の子供会、宗教少年部、日曜学校少年団などが統合され「少年団日本連盟」が発足。総裁は後藤新平男爵、副理事長に三島通陽が就任。

4月15日?17日 英国エドワード・アルバート皇太子を迎え、東京で全国少年団員団技大会を開催。


1923年(大正12年)

関東大震災。少年団日本連盟による救援・奉仕活動が行われる。


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