カノン砲
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独ソ戦時、赤軍が主力カノン砲として運用したA-19 122mmカノン砲

カノン砲(カノンほう、加農砲)およびカノン(加農 :cannon)は、大砲の一種。キャノン砲とも呼ばれる。現代の定義は同口径榴弾砲に比べて砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が長く、高初速・長射程であるが重量とサイズは大きく、やや低仰角の射撃を主用する(#定義)。しかしながら、概ね冷戦後の現代は火砲の進化(榴弾砲の長砲身化)による砲種の統廃合(榴弾砲の統一)により、榴弾砲とカノン砲の区別は無くなっている(#歴史)。
定義17世紀当時のドイツヴァルトブルク城)のカノン砲

カノン砲(gun)は16世紀から17世紀の間は砲弾弾丸)重量42ポンド以上の大口径の滑腔砲の呼称として用いられた。また、「半カノン砲(Demi-cannon)」という砲は弾丸重量は32ポンドであった。その後、榴弾が発明され三十年戦争を機に野戦においても火砲が多用されるようになると(野戦砲)、榴弾を主に曲射弾道で射撃し(曲射砲)、野戦に便利なように砲身をある程度短くするなどした火砲は「榴弾砲」、これまでのように砲丸散弾による直射(平射砲)を主に行う火砲は「カノン砲」と区別して運用されるようになった。

しかし、駐退復座機が開発され火砲が飛躍的な進化を遂げた19世紀末以降、カノン砲でも比較的仰角をとった曲射の間接射撃を行うようになり、火砲の全盛期であった20世紀中半・第二次世界大戦頃までは「榴弾砲は30口径前後まで、カノン砲はそれ以上」と口径長[1](砲身長)で両砲を大まかに区別するようになった。右・八九式十五糎加農(口径149.1mm・口径長40・砲身長5.96m・初速734.5m/s・最大射程18,100m・戦闘重量10,422kg)
左・九六式十五糎榴弾砲(口径149.1mm・口径長23.5・砲身長3.53m・初速540m/s・最大射程11,900m・戦闘重量4,140kg)

カノン砲は(同口径の)榴弾砲と比較して、砲弾に緩焼性の比較的高い多量の装薬を用い長砲身のため射程や低伸性に優れるが、射撃時の高い腔圧や大きな反動に耐えるために砲自体の重量は重く仕上がり、サイズも大きく機構も複雑となり生産性や運用性に劣る。カノン砲が主用する砲弾もあくまで榴弾・破甲榴弾・尖鋭弾(遠距離射撃用の榴弾)などであるため、近現代においては使用砲弾の差異によって榴弾砲とカノン砲とが区別される訳ではない。

榴弾砲と異なり高初速で弾道が低伸性に優れるため低仰角(概ね射角45°以下)での遠距離射撃(対砲兵戦等)を得意とし、近中距離の目標を直接照準・零距離射撃で砲撃することも可能でもある。そのため敵に射撃位置が察知されにくく、しばしばゲリラ戦術による砲撃に用いられた。例としてガダルカナル島の戦いにおいて「ピストル・ピート」の渾名をアメリカ海兵隊につけられた大日本帝国陸軍九二式十五糎加農や、沖縄戦における八九式十五糎加農による嘉手納飛行場砲撃などが挙げられる。

左掲の八九式十五糎加農(右)と九六式十五糎榴弾砲(左)は、(後者は砲身の強度を上げかつ軽量に抑えられる自緊砲身採用の新鋭榴弾砲であるなど、開発年代に差があるものの)第二次大戦における日本陸軍の主力15cm加農と榴弾砲である。ともに同口径(15cm)の火砲であるが、カノン砲と榴弾砲の違いとして最大射程のみならず砲身長・重量・サイズ・構造が大きく異なる(八九式の放列砲車重量は九六式の2倍以上)。なお、日本陸軍において加農の略称・略字は頭文字を取り「加」および「K[2]」であり、15cm加農は「十五加(15加)」や「15K」などと称していた[3]。なお、榴弾砲は「榴」および「H」。
名称

主に幕末以降、欧州の軍隊に範を取り火砲など多くの装備を輸入していた日本では、名称はそのままに本砲を「カノン」と呼称、これに漢字を当て字し「加農」と表記した。建軍以降フランス陸軍ドイツ陸軍に倣い、その後も長きにわたり欧州の影響を受けていた日本陸軍(日本軍)では、この「加農」の名称を受け継ぐとともにまた終始一貫して「加農」の名称を制式かつ正式の表記として使用している(兵器の制式名称・試製名称も「○○式○○加農」「試製○○糎加農」と表記する[4][5])。


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