カナモジカイ
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カナモジカイ前身仮名文字協会
設立1920年11月1日
設立者山下芳太郎
伊藤忠兵衛 (二代)
星野行則[1]など
設立地 大日本帝国 大阪府
種類(財団法人→)
任意団体
目的漢字廃止論仮名文字専用論の実現
所在地 日本 東京都渋谷区
機関紙『カナ ノ ヒカリ』
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カナモジカイは、仮名文字専用論を唱える日本の民間団体である。

1910年代の日本で国語改革の方策として漢字廃止論が唱えられた(日本語自体を廃止しフランス語などの外語を公用語とする主張もあった)。主なものに仮名文字専用論とローマ字専用論がある。

カナモジカイは、漢字の不便を取り除き、片仮名による横書きを普及させることを目的として、国語政策への意見を提出したり、雑誌『カナ ノ ヒカリ』を発行したり、講演会を開いたりしている。

財団法人としては2013年12月に解散し、現在は任意団体として活動を行っている。

2022年現在、拠点は東京都渋谷区にある[2]
歴史1930年代のカナモジカイの計画。漢字制限わかち書きなどの段階をへてカタカナ専用にいたる。『文字文化展覧会出品物解説』p. 68

カナモジカイは、1920年(大正9年)11月1日山下芳太郎伊藤忠兵衛 (二代)、星野行則[1]らによって仮名文字協会(かなもじきょうかい)として、大阪東区に設立された。創立者の山下は、協会設立同月に発行した『国字改造論』で、国家将来のために本国の文字を改良したい旨を述べ、漫然とできないとして、有力者であった伊藤らの協力を得て協会を設立したと述べている[3]。また、設立当時の山下は、仮名文字の研究、書物や表示における仮名の活用、タイプライターの製作等を掲げ、これの達成を設立の目的としていた。1923年(大正12年)、創立者の山下が病に伏したことから、逝去する数日前の4月1日にカナモジカイに改称、1938年9月28日に財団法人となった。

この仮名文字協会の創立から40年ほどの期間は、国語国字改革がもりあがった期間であり、カナモジカイもまた活発であった。カナモジカイは、政府への建議、講演会、調査研究、新しい表記の実験および実践などによって、この期間におこなわれた国語改革に役割をはたした。

仮名文字協会の創立の翌年、1921年には政府に臨時国語調査会が設けられた。1927年にはカナモジカイの会員数は1万人を突破した。1934年12月21日に文部大臣の諮問機関として国語審議会が設けられてから1961年に至るまで、カナモジカイは、星野行則、伊藤忠兵衛、松坂忠則らを国語審議会の委員として出しつづけた。また、カナモジカイは、1948年に設けられた国立国語研究所の評議員も、1961年に至るまで出しつづけた。

カナモジカイは、第二次世界大戦後、三鷹国語研究所とともに、国民の国語運動連盟を結成した。なお、三鷹国語研究所とは、山本有三が三鷹市の自宅にひらき、安藤正次が所長をつとめた研究所である。国民の国語運動連盟の代表には安藤正次がつき、連盟の事務局はカナモジカイに置かれた。連盟は国語国字改革、日本国憲法を含む法令の口語化などをすすめるために運動した(なお、日本国憲法口語化については、国立国会図書館の「日本国憲法の誕生[4]」がある)。

1961年には、舟橋聖一ら5名が国語審議会の審議のすすめかたに抗議して委員を辞めた。この事件ののち、国語審議会の性格が改められるに至り、カナモジカイを含む国語国字改革推進派は、国語政策への影響力を失っていった。
カナ ノ ヒカリ『カナ ノ ヒカリ』第1号の第1ページ

『カナ ノ ヒカリ』は仮名文字協会およびカナモジカイが発行してきた雑誌である。第1号より、左からの横書きおよび改良した活字を使用し、新しい表記および組版の実験をしてきた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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