カナダ=アメリカ合衆国国境
ブリティッシュコロンビア州サレー(カナダ)とワシントン州ブレイン(アメリカ合衆国)の間の国境にある平和のアーチ
特徴
対象 カナダ アメリカ合衆国
延長8,891 km
歴史
制定1783年9月3日
アメリカ独立戦争を終結させたパリ条約に調印
最終変更1908年4月11日
五大湖とセントローレンス川の国境を確定させる条約(1908年条約)に調印
条約パリ条約
ジェイ条約
1818年条約
カナダ=アメリカ合衆国国境(カナダ=アメリカがっしゅうこくこっきょう)は、同じ2ヶ国間の国境としては世界最長の国境である。全長8,891キロメートル(5,525マイル)あり、この中にはアラスカ州とユーコン準州・ブリティッシュコロンビア州の国境2,475キロメートル(1,538マイル)も含まれている。
長らくカナダにとっては唯一の陸上国境であったが、カナダとデンマークがハンス島の分割領有で合意し[1]、ウイスキー戦争が終結したことで、デンマークとの陸上国境も有することになった。
歴史詳細は「アルーストック戦争」、「オレゴン境界紛争」、「アラスカ国境問題」、および「アメリカ合衆国における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」を参照カナダとの陸上または水域の国境に接するアメリカ合衆国の郡.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 陸上国境 水域国境アメリカ合衆国に入る車を迎える看板
現在のカナダ=アメリカ合衆国国境は、イギリスとイギリスから分離してアメリカ合衆国を形成することになった13植民地との間の戦争を終わらせた1783年のパリ条約で創られた。1794年のジェイ条約が国境委員会を創設し、国境地域の測量と地図化を行った。イギリス領北アメリカとアメリカ合衆国は共に西方への領土拡大を行い、1818年の二国間協議によりウッズ湖のノースウエスト・アングルからロッキー山脈まで北緯49度線に沿って国境は西に延伸された。この協議ではルパート・ランドの一部だった北緯49度線からレッド川流域までのイギリスの領有権主張が消滅した。またルイジアナ買収地の一部だったミシシッピ川流域でやはり北緯49度線から北の土地についてアメリカ合衆国の領有権主張も消滅した。このことはアルバータ州南部に入るミルク川と呼ばれるミズーリ川の最北西端にも及んだ。
国境策定の解釈に関する論争がアルーストック戦争に繋がり、その結果として1842年のウェブスター=アッシュバートン条約により、メイン州とニューブランズウィック州およびカナダ植民地の国境、さらにはスペリオル湖を挟む現在のオンタリオ州とミネソタ州における境界水域とノースウエスト・アングルの国境について詳細な定義が行われた[2][3]。アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ポーク政権の1844年、オレゴン境界紛争では、アメリカ合衆国がロッキー山脈より西では北緯54度40分(ロシアのアラスカ領土南境界に相当)を国境とするよう要求したが、イギリスはコロンビア川に沿って太平洋にいたる国境を望んだ。この論争は1846年のオレゴン条約で解決され、ロッキー山脈を過ぎても北緯49度線を国境とすることになった。1857年から1861年の北西国境測量調査によって陸の国境は確定されたが、水域国境はなお暫くは設定されないままになった。1859年のブタ戦争の後、1872年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の仲介により、ガルフ島とサンフアン諸島の間で国境が定められた。1903年、イギリス、カナダ、アメリカ合衆国三者の合同裁決機関によってアラスカとカナダの国境が確定し、その大半は西経141度線に従うことになった。
2020年3月18日、ドナルド・トランプ大統領は、2019新型コロナウイルスの感染拡大に伴いカナダとの国境を封鎖すると表明した。これは両国の合意を踏まえた措置である[4]。国境の閉鎖解除時期は数度にわたり延期された。商品を配送するドライバーや不可欠な仕事がある人の国境通過は認められたが、カナダ側はウイルス感染の深刻さは低いこともあり、アメリカからの国境通過者に対する住民感情は厳しいものとなった[5]。
国境委員会オレゴン・カントリーとコロンビア地区
1925年、国境委員会は恒久的組織となり、国境地域の測量と地図化を行い、国境標識(場所によってはブイ)を維持し、さらに国境線の幅6 m(20フィート)は藪や植生を払う任務を与えられた。この「国境線」(border vista)は両国側にそれぞれ3 m(10フィート)の幅がある。委員会の年間予算は140万米ドルとなっている[6]。
委員会は2人のコミッショナーが指導しており、1人はカナダ人、1人はアメリカ人である。2007年7月、ブッシュ政権はアメリカ人コミッショナー、デニス・スコーナックに対し、国境近くの民間建築物についての委員会とアメリカ合衆国政府の論争に関連して、解雇を言い渡した[7]。スコーナックは委員会がアメリカ合衆国の司法権が及ばない独立した国際組織であり、委員会を創設した1908年の条約に従えばコミッショナーが「死亡、辞任あるいはその他の業務遂行不能」の場合のみ後任が指名できると言って解雇を拒否した[8]。カナダ政府はこの件についてとやかく言う立場にないと発言したが[9]、カナダ側のコミッショナー、ピーター・サリバンは7月13日に、ブッシュ大統領が指名したアメリカ側コミッショナー代行でコロラド州に本拠を置く内務省法務官、デイビッド・バーンハートと共に働く用意があると語った[10]。
安全保障
法の執行ワシントン州ポイントロバーツの国境にある表示、国境を違法に越えることについて警告している
このカナダ=アメリカ合衆国国境は、通常「世界最長の防御が無い国境」と呼ばれるが、これは軍事的な意味では真実だが、文民の法執行機関による警備はある。カナダ=アメリカ合衆国国境の3分の1の長さであるアメリカ=メキシコ国境に比べてかなり低いレベルの安全保障手段が採られている。