カナダの先住民寄宿学校
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カペル産業学校。親たちは子どもを訪ねるために門の外にキャンプを張った(1885年)

カナダの先住民寄宿学校(カナダのせんじゅうみんきしゅくがっこう、英語:Canadian Indian residential school system)とは、先住民に対する同化政策としてカナダ政府が設置していた寄宿学校制度である[1][2][3][4][5]。政府が資金を提供し、キリスト教会カトリック教会聖公会メソジスト合同教会長老派)によって運営された[6]。先住民の子どもたちを固有の文化や宗教の影響から隔離し、カナダにおける白人社会の支配的な文化に半ば強制的に同化させることを目的とし、実質的な民族浄化政策を青少年を対象とする教育システムとして取り込み、合法的制度として機能した[4][7][8][9]。この制度は100年以上継続し、この間に約15万人の子どもたちが収容された[1][10][11][12]。1930年代初頭に80校、17000人を超える登録生徒数でピークを迎えた[13]。同学校に関連した子どもたちの死亡者数は記録が不完全なため不明であるが、3,200人以上、あるいは6,000人以上とする推定があり[14][15][16][17][18]、その多くが、死因も、埋葬された場所も、不明なままである。このことが、現在、“ジェノサイド”として扱われる所以でもある[10]

寄宿学校制度は、先住民の子どもたちを、甘言、詐言、ときに剥き出しの暴力によって、家族から引き離し、「学校」に収容した上で、祖先の言葉を奪って英語教育を強制した。生徒たちは、事実上、隔離下、監視下に置かれ、厳しい懲罰を受けることもあり、さらに、家族との面会の自由を奪われ、自由意思による「中途退学」も許されず(そのような手続きもなく、逃亡、脱獄の扱いになった。)、多くの生徒が身体的、精神的、性的虐待を受けるなどして、多大な被害をもたらした[1][10]。また、子どもたちは、白人社会に「同化した」市民(“自由民”)として強制的に“市民権”を与えられ、先住民としての法的、文化的、歴史的なアイデンティティーが失われた[19]。生徒たちは、家族や、コミュニティの文化から切り離され、英語フランス語を話すことを強制され、白人社会、すなわち「文明社会」に適応可能な「文明人」となるよう教化され、“矯正”された。このことは、子どもたちが生来所属していた先住民としての歴史、生活スタイル、文化、アイデンティティを根底から否定することを必然的に伴っていたため、生徒たちは、先住民のコミュニティに戻れたとしても、一方では「白人化」の影響によってコミュニティに溶け込みにくくなって軋轢や葛藤を生み出すことがあり、他方では、カナダの主流社会(白人社会)から、依然として人種差別的な扱いを受け続けており、自由で対等な「文明」的市民生活を享受することもなかった。

加えて、この学校システムは、一方では、白人社会に適応的に生活できるように「同化」するという教育理念を掲げながらも、他方では、第2次大戦後の1951年に至るまで、生徒たちを白人から分離した教育環境に置いており、実に、(白人社会への)「同化」政策を緩和したことによって、(白人の子どもがいる)州・準州の公立学校への入学が促されるという有様であった。すなわち、理念と運営実態とが、当初から根本的に矛盾していた。

結果的に、この教育システムは、先住民の習慣、信仰、歴史、文化、アイデンティティが世代を超えて伝播されることを阻害する制度的装置として機能した[1]。今日においても、先住民のコミュニティにおいて、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、アルコール中毒薬物乱用自殺、世代間トラウマという形で深い影を落としている[20]

この苛烈な同化制度が活発化したのは、1876年にアレクサンダー・マッケンジー首相の下でインディアン法が成立してからである。続くジョン・A・マクドナルド首相の時代に、政府と教会組織が連携する米国式の寄宿学校制度を採用した。1894年、マッケンジー・ボーウェル首相のもとでインディアン法が改められ、ファースト・ネーションの子供たちは全日制学校、産業学校、または寄宿学校への出席が義務となったが、コミュニティの多くが遠隔地にあるため、場所によっては寄宿学校が唯一の選択肢となった。

1980年代後半から1990年代前半にかけて、寄宿学校制度に関与した各宗教団体が謝罪を表明した[21][22][23][24]。2008年6月11日には、スティーヴン・ハーパー首相がカナダ政府を代表して初めて公式に謝罪を表明した。カナダ真実和解委員会(英語版)(Truth and Reconciliation Commission of Canada、TRC)の報告書は、この寄宿学校制度が文化的ジェノサイドに相当すると結論づけた[1]。2021年、かつての寄宿学校の敷地内で多数の墓が発見され、調査が行われている[25][26][27]

2023年、「カナダの先住民寄宿学校を通じたカナダ先住民族の子供たちへの強制同化政策」は世界の記憶に登録された[28]
背景

先住民を同化させようとする試みは、ヨーロッパの世界観と文化的慣習を中心とする帝国主義植民地主義、および発見の教義に基づく土地所有権の概念に根ざしたものであった[1]。真実和解委員会の最終報告書は「植民地化を行う側の根底には、自主的な文明化が望めない野蛮な人々に文明をもたらした、という人種的・文化的優越感の信念があった」と述べている[1]

真実和解委員会は、連邦政府が寄宿学校の設立を決定した背景として、次の3つの理由を挙げている。

先住民族の人々に市場経済に参加するためのスキルを提供する。

教育を受けた生徒が身分を捨て、保護区や家族に戻らないことを期待し、政治的同化をさらに進める。

学校は「文化的、精神的変化のエンジン」であり、「『野蛮人』がキリスト教の『白人』として出現する」ものであった[29]

この3つに加え、委員会は国家安全保障の要素も述べ、インディアン問題委員会の委員であったアンセル・マクレの言葉を引用している。「部族や種族が、その構成員が完全に政府の管理下にある子供たちを持つ政府に対して深刻な問題を起こすとは考えられない」[29]


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