カナウジ
?????? , ????
カナウジカナウジの位置
(ウッタル・プラデーシュ州 とインド内)
座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯27度04分 東経79度55分 / 北緯27.07度 東経79.92度 / 27.07; 79.92
国 インド
州ウッタル・プラデーシュ州
行政区カナウジ県
人口71,530 (2001年現在)
標準時IST (UTC+5:30)
面積
? 海抜
? 139 m
座標: 北緯27度04分 東経79度55分 / 北緯27.07度 東経79.92度 / 27.07; 79.92カナウジ(ヒンディー語: ??????, ヒンディー語発音: [k??n?.n???d??] カンノージ, 英語: Kannauj)は、インドの都市。ウッタル・プラデーシュ州に属する。カーニャクブジャ(Kanyakubja)とも称される。古代から中世にかけて繁栄した北インドの古都。現在の人口は71,530人(2001年)。 ウッタル・プラデーシュ州のほぼ中央やや西寄りに位置し、カーンプルの北西約80キロメートルに所在する。ガンジス川上流右岸に立地している。 伝説によれば、あるリシ(仙人)が、邪推から腹をたて、王の友人の娘を呪い、せむしにしてしまったという。カーニャクブジャとは「せむしの娘たちの町」という意味である[1]。
立地
伝承
歴史カナウジをめぐる三国の抗争。パーラ朝(紫)、プラティーハーラ朝(緑)、ラーシュトラクータ朝(橙)
当時、インドを訪れた玄奘は、『大唐西域記』において、カナウジを曲女城(きょくじょじょう)と記し、その繁栄ぶりや当時のインドの人びとの正直で誇り高いようす、カースト制度などについて伝えている[2]。
また、9世紀半ばから10世紀後半にかけて、プラティーハーラ朝もカナウジを都としてガンジス川上・中流域からインド西部を統治した。歴代の王は芸術を愛し、ヒンドゥー教とともに仏教も保護したので、町は北インド文化の一大中心地となった。また、東のパーラ朝(8世紀後半-12世紀前半)、南のラーシュトラクータ朝(753年-973年)もカナウジを支配しようとしたため、三者は互いに争うこととなった。
11世紀よりアフガニスタンを拠点としたイスラーム勢力が侵入してくると、カナウジは衰退へと向かった。1019年にはガズナ朝のマフムードによる襲撃を受け、1194年にはゴール朝によって再び略奪された。13世紀よりデリー・スルターン朝の統治下におかれたのちは、かつての繁栄を取り戻すことはなかった。市内には、ジャイナ教風の柱をもつモスクの一部が残る。また、ムスリムの城主マダン・シャーの墓廟建築がある。
脚注^ 塚本(1974)
^ 『大唐西域記』巻2-10
関連項目
ヴァルダナ朝
パーラ朝
プラティーハーラ朝
ラーシュトラクータ朝
インドの歴史
参考文献
辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0