カツオクジラ
カツオクジラ Balaenoptera edeni
保全状況評価[1]
LEAST CONCERN
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
分類
カツオクジラ(鰹鯨、学名:Balaenoptera edeni)は、ナガスクジラ科ナガスクジラ属に属するヒゲクジラ亜目の一種であり、非常に近縁であるニタリクジラやライスクジラ(英語版)との外見上の差はほとんど存在しない。
分類「Bryde's Whale complex」の普遍的な特徴である、頭部の3本の隆起線。
本種は、3種または4種以上存在するとされる「Bryde's Whale complex[注 2]」の一角である。
本種が科学的に最初に分類されたきっかけは、ミャンマー西岸のマルタバン湾奥の河川を数十キロメートル遡上した個体であり、別名の「Sittang Whale」もシッタン川に由来する[3]。
比較的新たに分類されたために、情報が少ない種類であるが、東シナ海及び高知県、和歌山県沖の体長が小さい沿岸型のニタリクジラとされていたのはカツオクジラであり、土佐湾のホエールウォッチングの主対象として知られる「ニタリクジラ」も本種である[4][5]。
2014年には、メキシコ湾に定住する絶滅に瀕する小個体群が、独自の亜種であるライスクジラ(英語版)であることが判明し、2021年に正式に新種として分類された[6]。 本種はかつて、イワシクジラおよびニタリクジラと同一の種とされていた[7]。 このため、「カツオクジラ」という名称はイワシクジラやニタリクジラの別名でもあったが、ニタリクジラとイワシクジラが別種であることが判明した際に、ニタリクジラに類する習性であるため、この別名はニタリクジラに引き継がれ、更に本種がニタリクジラから分けられる際にこの和名が付けられた。 なお、正式に決まるまでこの鯨種の和名として「エーデンクジラ(イーデンクジラ)」という名も検討されていた。 ニタリクジラカツオクジラ
名称
ニタリクジラとの識別
上顎骨の上行突起の形状太く末広がり細く幅が一定
鼻骨の形状細長い三角形長方形のような形
前頭骨の露出狭く帯状広く、台座状隆起がある
間頭頂骨
翼蝶形骨
生態「ニタリクジラ#形態・生態」を参照
和名の由来は、本種と共にカツオが群れる習性があるためとされており[注 3]、共生関係にあるともされている。これはニタリクジラ等と同様に「クジラ付き」と呼ばれる光景である[8]。
本種もニタリクジラも、現生のナガスクジラ科では、ミンククジラと同様に(ザトウクジラよりは大幅に少ないが)ブリーチング・ヘッドスラップ(ジャンプ)やスパイホッピングを行う頻度が比較的に高い。やはりミンククジラと同様に、テイルスラッピングやペックスラップやフルークアップを行う事はほとんどない。
採餌方法タイ湾における「トラップ・フィーディング」の様子。
本種は様々な採餌方法を取ることが知られており、中には本種でしか確認されていない物もある。
土佐湾の個体群はザトウクジラと同様のバブルネット・フィーディングを行う点で特徴的である[9]。
北半球の北方に伝わる伝説の生物であるハーヴグーヴァの伝承の由来にもなったとされる「トラップ・フィーディング」は、タイ湾における本種の観察においてはじめて記録された。その後、タイ湾以外でも中東から東南アジアや中国での各海域で確認されており、さらに後年にはバンクーバー島周辺のザトウクジラも「トラップ・フィーディング」を行うことが判明した[10]。
2015年以降、中国・広西チワン族自治区の?洲島(英語版)と斜陽島(英語版)の周辺において本種の分布が確認され、これは現代の日本以外の東アジアにおけるヒゲクジラ類の安定した生息が判明した初の事例だった。そして、この個体群はこれまで確認されてこなかった世界初の採餌形態である「ピルエット・フィーディング」や本種では初確認の「バブル・トレイリング」を習得している[11][12][13]。
分布ピーピー諸島沖のカツオクジラ
温暖な地域であれば紅海を含むほとんど全域に生息する[注 4]。
現代の日本列島においては、高知県の土佐湾一帯と鹿児島県の野間半島周辺が本種の主だった生息域になっている。この両海域には定住群が存在するとされ、同海域での個体識別や繁殖活動の観察など研究が進んでいるだけでなく、両海域間の交流も判明している。土佐湾と野間半島および甑島列島沖に来遊するカツオクジラは、捕鯨以前よりは分布が狭まったであろう現代でも、少なくとも西は長崎県沖・五島列島付近まで、北は対馬市や山口県の沿岸などまで[7]、東は和歌山県・尾鷲沖まで回遊することが知られている。現在の牛深市の沿岸も、おそらくは本種の回遊経路であったと思わしい[注 5][8]。また、瀬戸内海にも短期間滞在した事例も存在し[14]、過去の記録を見ると野間半島周辺の個体は台湾などさらに遠方まで回遊していたと思しい[注 6][9]。