カタリーナ・コルナーロ
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カタリーナ・コルナーロ
Caterina Cornaro
キプロス女王
ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1542年に描いたカタリーナの肖像画。ウフィツィ美術館所蔵。
在位1474年8月26日 - 1489年2月26日[1]
キプロス王妃
在位1468年6月10日 - 1473年6月11日

出生1454年11月25日
ヴェネツィア共和国ヴェネツィア
死去 (1510-07-10) 1510年7月10日(55歳没)
ヴェネツィア共和国ヴェネツィア
埋葬 ヴェネツィア共和国ヴェネツィア、サン・サルヴァドール教会
配偶者ジャック2世
子女ジャック3世
王朝リュジニャン朝
父親マルコ・コルナーロ
母親フィオレンツァ・クリスポ
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カタリーナ・コルナーロ(イタリア語: Caterina Cornaro、1454年11月25日 - 1510年7月10日)またはカテリーナ・コルナーロは、15世紀のキプロス女王ヴェネツィア共和国の名門貴族コルナーロ家の出身で、キプロス王ジャック2世と結婚してキプロス王妃となった。ジャック2世の死後に生まれた嫡子のジャック3世がキプロス王位を継いだが、ジャック3世も生後1年足らずで死去したためにカタリーナが1474年に王位を継ぎ、1489年まで女王としてキプロスを治めた。王位に就いたカタリーナは「聖マルコの娘」を名乗ったが、これはカタリーナの出身国であるヴェネツィアが、自らの守護聖人であるマルコとカタリーナを関連付けることによって、ジャック2世の死後もキプロスに対するヴェネツィアの影響力を保とうとしたためである[2]
家族

カタリーナは神聖ローマ帝国の騎士階級でヴェネツィア貴族のマルコ・コルナーロとフィオレンツァ・クリスポの娘として、1454年11月25日にヴェネツィア共和国で生まれた。父マルコはおそらく、1365年から1368年までヴェネツィアのドージェを務めたマルコ・コルナーロ (en:Marco Cornaro) の孫である[3]。コルナーロ家はヴェネツィアの元首であるドージェを4名輩出した名門貴族で、カタリーナの兄ジョルジョ・コルナーロ (en:Giorgio Cornaro) も要職に就いている。コルナーロ家とキプロスは通商や交易を通じて、長年にわたって深いつながりがあった。

カタリーナの母フィオレンツァは、シロス島の領主ニコラス・クリスメB(en:Nicholas Crispo, Lord of Syros) の娘である。ニコラスは少なくとも二度結婚しており、フィオレンツァの母親がどちらなのかははっきりとしていない。ニコラス自身の書簡によると、ニコラスはレスボス島の領主ジャコポ・ガッティルシオの義理の息子となっている[4]。1574年のカテリーノ・ゾノの記録には、ニコラスの妻としてエウドキア=ヴァレンツァ・トレビゾンドの名前が記載されており、エウドキア=ヴァレンツァはトレビゾンド皇帝ヨハネス4世の娘だとされている。しかしながら年齢や結婚時期などからすると、エウドキア=ヴァレンツァはヨハネス4世の娘ではなく妹である可能性が高く、この場合エウドキア=ヴァレンツァの両親は先代のトレビゾンド皇帝アレクシオス4世と皇妃テオドーラということになる[5]

ニコラス・クリスポの父はナクソス公国の君主フランチェスコ1世・クリスメB(en:Francesco I Crispo) で、ニコラスの母はナクソス公国の前君主サヌード家の一員フロレンス・サヌードだった[6]。フロレンスは、1341年から1376年までミロス島領主だったマルコ・サヌードの娘である。マルコ・サヌードは1303年から1323年までナクソス公国の君主だったグッリェルモ1世・サヌード (en:William I Sanudo) の末子だった[7]
結婚と王位継承19世紀の画家ハンス・マカルトが描いた『カテリーナ・コルナロに敬意を表すヴェネツィア』。ウィーンのベルヴェデーレ宮殿所蔵。

1458年にキプロス王ジャン2世が死去すると、王位はジャック2世の異母妹で正嫡のシャルロットが継いだ。しかしながらジャン2世の庶子だったジャック2世がキプロス王位を求めてシャルロットと争い、シャルロットをローマへ追放して1464年にキプロス王位に就いた。政治的支援を必要としていたジャック2世は、キプロスと関係が深かったヴェネツィア共和国の名門貴族コルナーロ家の娘カタリーナを王妃に望んだ。ジャック2世からの申し込みはヴェネツィア側を非常に喜ばせ、ヴェネツィアとキプロスとの交易がいっそう盛んになり、キプロスでヴェネツィアに対する数々の特権が与えられるなどの効果となって表れた。当時のカタリーナは14歳であり、1468年7月30日にヴェネツィアで行われたジャック2世とカタリーナとの結婚式は代理結婚式だった。数年後にカタリーナはキプロス島へ渡り、正式にジャック2世と結婚生活を始めている。

正式な夫婦生活を始めて間もない1473年にジャック2世は突然発病し、7月に死去してしまう。当時ジャック2世の子を身篭っていたカタリーナは、ジャック2世の遺言に従ってキプロス王国の摂政となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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