ニューヨーク州カタラウガス郡
郡のニューヨーク州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1808年
郡庁所在地リトルバレー
カタラウガス郡(英: Cattaraugus County)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の南西部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は80,317人であり、2000年の83,955人から4.3%減少した[1]。郡庁所在地はリトルバレー村(人口1,143人[2])であり、同郡で人口最大の都市はオレアン市(人口14,452人[3])である。 カタラウガス郡となった地域の昔はほとんど人が住まず、今は内ウェンローロノン族インディアンが領土にしていた。18世紀までニューヨーク植民地、マサチューセッツ湾植民地、ペンシルベニア植民地が領有を主張していた。 1683年にニューヨーク植民地で郡が作られたとき、現在のカタラウガス郡地域はオールバニ郡に属していた。これは巨大な郡であり、ニューヨーク州北部とバーモント州の全てを含んでおり、さらに理論的には西の太平洋岸まで広がっていた。1766年7月3日に、カンバーランド郡を分離し、1770年3月16日にグロスター郡を分離したが、どちらも現在はバーモント州に含まれている。 1772年3月12日、オールバニ郡の残りが3つに分割され、1つはオールバニ郡の名前で残った。1つは西部に作られたトライアン郡だった。トライアン郡の東部境界は現在のスケネクタディ市の西約5マイル (8 km) にあり、アディロンダック山地の西側と、デラウェア川西支流より西の領域を含んでいた。トライオン郡に指定された地域には現在のニューヨーク州37郡が入っている。ニューヨーク植民地総督のウィリアム・トライアンに因んで名付けられた。 1776年に先立つ年に、トライアン郡のロイヤリストは大半がカナダに逃亡した。1784年、アメリカ独立戦争を終わらせた条約締結に続いて、トライアン郡はモンゴメリー郡に改名された。これは独立戦争時の将軍リチャード・モントゴメリーに因む命名だった。モントゴメリーはカナダで数か所を占領した後、ケベック市攻略中に戦死した。憎まれたイギリスの総督に代わる命名だった。 1789年にモリス・リザーブを設立した結果として、モンゴメリー郡からオンタリオ郡が分離した。続いて1802年にはホランド買収の結果としてオンタリオ郡からジェネシー郡が分離した。この地域にそこそこの開拓地ができたのはこの時期だった。1806年にはジェネシー郡からアリゲイニー郡が作られた。 カタラウガス郡は1808年にジェネシー郡から分離して設立された。当初は人口が少なかったので郡政府も無かった。1812年から1814年、カタラウガス郡はアリゲイニー郡内で法人化された。1814年から1817年、郡の記録がベルモント(アリゲイニー郡内)とバッファロー(当時はナイアガラ郡)に分割された。最後は1817年に郡政府が設立された。 郡内最初の開拓地はオレアンであり、当初の郡庁所在地はエリコットビルだった。1860年からリトルバレーに移された。 カタラウガス郡はニューヨーク州の南西部にあり、ペンシルベニア州境のすぐ北に位置している。郡南部は最終氷期の氷河に覆われなかったことで、州西部では唯一の地域であり、山が削られた丸くなり谷が氷河で埋められた近隣地域に比べてゴツゴツした地形である。全体がペンシルベニア紀とミシシッピ紀の開析台地であるが、普通よりは山がちに見える。ペンシルベニア州から伸びるアルゲイニー台地の延長である。郡南部は油田の一部であり、以前は石油が地域の資源だった。石油は大半が枯渇したが、天然ガスの抽出は継続している。 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は1,322平方マイル (3,424.0 km2)であり、このうち陸地1,310平方マイル (3,392.9 km2)、水域は12平方マイル (31.1 km2)で水域率は0.94%である[4]。 郡の北側郡境はカタラウガス・クリークになっている。
歴史
地理
交通
主要高規格道路
州間高速道路86号線/ニューヨーク州道17号線(サザン・ティア・イクスプレスウェイ)