カセケム / カセケムイ
Khasekhem / Khasekhemwy
カセケムイ像(エジプト考古学博物館収蔵)
古代エジプト ファラオ
統治期間前2716年頃 - 前2686年頃,エジプト第2王朝
前王セト・ペルイブセン
次王サナクト
ファラオ名 (五重称号)
ホルス名: カセケム
配偶者ニマアトハプ
子息ジェセル?
子女ニマアトハピ
死去紀元前2686年頃
埋葬地ウンム・エル=カアブ
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カセケムイ(Khasekhemwy)は、エジプト第2王朝のファラオであり、30年間エジプトを治めた。第2王朝最後の王であり、前の王セト・ペルイブセンの時代に起こった内乱を平定した。 前王セト・ペルイブセンとカセケムイの間に、カセケムという王がいた主張する説があるが、カセケムイと同一人物とする説が一般的である。同一人物説をとるならば、カセケムは内乱を鎮圧してから「二つの力強いもの(ホルス、セト)の出現」という意味を持つカセケムイに改名したとされている[1]。そのため、王名を残すセレクにはホルスとセトの双方を示す動物が刻まれた。 この時期の石壺に「ケネブの町で北(下エジプト)の敵と交戦した年」と記録が残されていたことにより、南エジプト(上エジプト)のカセケムイと北エジプトとの間で戦闘が行われたことが判明している。ケネブの町とは南エジプトの主要都市ヒエラコンポリス カセケムイは紀元前2686年頃に死去した。埋葬されたアビドスの墓は、長さ70メートル、幅10メートルから17メートルの巨大な不等辺四角形をしており、当時の王墓として特異な形をしている。また、一部は盗掘を免れており、黄金と紅玉髄の王錫、金箔の貼られた蓋をもつ水差し等が発掘された。また、現存する立体的な王の像としては最古のカセケムイ像が二体発掘されており、それぞれ片岩と石灰岩で作製されている[1]。カセケムイの墓から900メートル離れた場所には、同年代のレンガ建造物、シュネト・エル=ゼビブ カセケムイには男子の王位継承者がおらず、女性王位継承者として娘のニマアトハピがいた。ニマアトハビはサナクトを夫に迎え、サナクトはエジプト第3王朝を開始する。古代エジプトは母系社会であり、この婚姻はサナクトの王位に正統性を与えた。 先代 先代
カセケム
内乱
王墓
金箔の貼られた蓋がある水差し
カセケムイ像(アシュモレアン博物館収蔵)
カセケムイの王墓周辺
死後
出典^ a b c ピーター(1999:36)
^ ピーター(1999:37)
参考文献.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、カセケムイに関連するカテゴリがあります。
ピーター・クレイトン『ファラオ歴代誌』吉村作治監修、藤沢邦子訳、創元社(1999年)
セト・ペルイブセン古代エジプト王
15代
前2700年頃 - 前2686年頃次代
サナクト
セト・ペルイブセンエジプト第2王朝
前2700年頃 - 前2686年頃次代
エジプト第3王朝