カズレーザー
KAZLASER
2016年1月
本名金子 和令(かねこ かずのり)
ニックネームカズ、カズレーザー
生年月日 (1984-07-04) 1984年7月4日(39歳)
出身地 日本・埼玉県加須市
血液型O型
身長182 cm
言語日本語
方言標準語
最終学歴同志社大学商学部
出身TOKYO☆笑BIZ 4期生
コンビ名フルハウス(解散)
メイプル超合金(2012年8月 - )
相方東ブクロ(フルハウス)
安藤なつ(メイプル超合金)
芸風漫才(ボケ)
立ち位置右
事務所サンミュージックプロダクション
活動時期2007年 -
同期インディアンス
山添寛(相席スタート)
ダイタク
りんたろー。(EXIT)
ネルソンズ
セルライトスパ
ロングコートダディ
岡野陽一
ウエストランド
現在の代表番組MC
家事ヤロウ!!!
カズレーザーと学ぶ。
X年後の関係者たち
レギュラー
沸騰ワード10
クイズプレゼンバラエティー Qさま!!
くりぃむクイズ ミラクル9
など
弟子なかがわりょう(フランスピアノ)
受賞歴
2016年 Yahoo!検索大賞2016 お笑い芸人部門賞メイプル超合金
2015年 決戦!お笑い有楽城 優勝
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カズレーザー
YouTube
チャンネル
カズレーザーの50点塾
登録者100,000人2020年
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-03-30-00002023年3月30日時点。
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カズレーザー(本名:金子 和令〈かねこ かずのり〉、1984年7月4日 - )は、日本のお笑いタレント。メイプル超合金のボケ担当。相方は安藤なつ。サンミュージックプロダクション所属。
埼玉県加須市出身。赤い服に金髪がトレードマーク。兄と妹がいる。母方の実家はイチゴ農家[1]。クイズを得意としており、芸人たちからはカズ、カズレーザーと呼ばれることが多い。 2020年に自身のYouTubeチャンネル『カズレーザーの50点塾』を開設。 埼玉県立熊谷高等学校、同志社大学商学部を卒業。大学生時代は喜劇研究会に所属[2]。歴史あるサークルだが、東ブクロ(さらば青春の光)によると、彼らが在籍していた頃は他大学との交流もなく閉鎖的、サークル内でのネタ見せでは「笑ったら負け」の雰囲気があり、それぞれが相手を“えぐる”ようなダメ出しをしていた。そのお笑い養成所のような雰囲気を作り出していたのがカズレーザーで、演者は皆、カズレーザーの意見を求めて集まっていたという[3]。この当時は1年後輩の東口宜隆(現さらば青春の光・東ブクロ)とのコンビ『フルハウス』で活動[4]。フルハウスは大学内の漫才大会では常に1位だったが、2003年に出場した『M-1グランプリ』では1回戦敗退。ナベプロや吉本興業のオーディションを受けたが上手く行かず、ワタナベコメディスクール主催のコンテストに参加した。その際、高校生のハライチがグランプリを獲り、2期の特待生として学費の48万円を全額免除されたが、フルハウスは5万円の免除だけと実力の差を見せつけられたため、ワタナベコメディスクールの入学を断念し[5]、大学卒業と同時に解散した[6]。 2007年の大学卒業後は銀行への就職が内定していたが、「とにかく働きたくない」という思いが強く辞退[7]、その後、芸術家など進路を色々と考えたが、消去法で再び芸人を目指すことに決める[8]。決断した時点でもう既に4月になっており、多くの養成所が締切になっていた中で募集を続けていたTOKYO☆笑BIZを選び、4期生として入学した[9]。 2009年、TOKYO☆笑BIZ卒業後、サンミュージック所属となってピン芸人としてデビュー。所属先にサンミュージックを選んだことについては「人生最大の決断であり、人生最大のミスと言っても過言ではない」と後悔する一方で「サンミュージックに所属したからこそ今の僕がある。他を選んでいたら芸人を続けられずに途中で辞めていた。」とも語っている[10]。ピン芸人時代は「名前だけでも覚えて帰ってほしいコント」と称して、オチに「どうも、カズレーザーです」と言うショートコントをしていた。本人曰く、ピン芸人時代は6年間スベり続けていたが「好きなネタができるだけで楽しかった」という。ぶっちゃぁ(ブッチャーブラザーズ)にも「お前は今のままで大丈夫」とも言われたことがあるが[7]、マネージャーには「このままスベり続けて死ぬか、コンビを組むのかどっちなんだ」などと言われたこともあった[11]。 2012年に安藤なつを誘い、メイプル超合金を結成[12]。
略歴
人物
ファッション
通っていた熊谷高校は自由な校風で制服がなく、高校1年生[7]から現在に至るまで、舞台衣装そのままの全身赤色の服を常用している[13]。これは寺沢武一の漫画『コブラ』の影響であり、左腕をサイコガンに改造したいとも語る[14][15]。高校生の頃のあだ名は「レッド」で、大学へ進学後も自ら「レッドと呼んで」とよく話しかけていたという[6]。
学生時代に家庭教師のアルバイトをしたが、金髪に赤い服という外見から上司に信頼してもらえず、ほどなくして辞めている[16]。