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ジョージ・アームストロング・カスター
George Armstrong Custer
1865年頃の肖像
渾名オーティー 他
生誕 (1839-12-05) 1839年12月5日
オハイオ州ニューラムレイ
南北戦争(American Civil War)
第一次ブルランの戦い
半島方面作戦
アンティータムの戦い
チャンセラーズヴィルの戦い
ゲティスバーグ方面作戦
ゲティスバーグの戦い
オーバーランド方面作戦
荒野の戦い
イェロータバンの戦い
Trevilian駅の戦い
1864年のバレー方面作戦
リッチモンド方面作戦
インディアン戦争(Indian Wars)
ウォシタ川の戦い
リトルビッグホーンの戦い
配偶者エリザベス・ベーコン・カスター
署名
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南北戦争時代のカスター(右)。左は士官学校時代の同級生のJ・B・ワシントンで、ジョンストン南軍指揮官付きの将校として捕虜になる。
ジョージ・アームストロング・カスター(George Armstrong Custer, 1839年12月5日 - 1876年6月25日)は、アメリカ陸軍の軍人。 カスターはオハイオ州ニューラムレイで、鍛冶屋兼農民の父親エマニュエル・ヘンリー・カスター(1806年 - 1892年)と、マリー・ワード・カークパトリック(1807年 - 1882年)の間に生まれた[注釈 1]。曾祖父はドイツのライン川付近から移住したドイツ系移民で[1][2]、「ドイツ系アメリカ人協会」によると、カスター家はイギリスとの戦いで戦功を挙げたヘッセン公国の兵士にまでに遡ると伝わる。この説によれば、一族の姓名は元々、発音も表記も異なる「Kuster(キュスター)」で、ヘッセン語
来歴
生い立ち
カスターはミシガン州モンローで兄弟と幼い時を過ごした後、オハイオ州ホープデイルのホープデイル大学に進学した[注釈 2]。大学時代、貧しい生まれのためにカスターは同級生と石炭運びの仕事を行い、部屋代を稼いでいた。1856年にホープデイル大学を卒業、両親は聖職者になることを望んだが[4]、カスターは難関であるウェストポイントの入学試験に合格して陸軍の士官候補生となった。カスターは1860年度のクラスで教育を受けたが学業成績は芳しくなく[注釈 3]、通常であれば佐官停まりが見えている状態だった。また気性の激しいカスターはしばしば騒動を起こし、退学を警告される事も少なくなかった。しかし幸運な事に南北戦争の勃発が彼に立身出世の機会を与える結果となった。
南北戦争カスター「大尉」(1862年)
在学中に南北戦争が勃発、卒業を一年繰り上げて騎兵少尉に任官[5]、第一次ブルランの戦いでは第2騎兵隊の士官として初陣を飾った。