カジャグーグー
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カジャグーグー
Kajagoogoo
2008年ドイツでのパフォーマンス
基本情報
別名カジャ (Kaja)
出身地 イングランド
ベッドフォードシャー州レイトン・バザード
ジャンルニュー・ウェイヴ
シンセポップ
ポップ・ロック
活動期間1978年 - 1985年
2003年 - 2004年
2007年 - 2011年
レーベルEMIパーロフォン、Spectra
公式サイト ⇒www.kajagoogoo.com

旧メンバーリマール
ニック・ベッグス
スティーヴ・アスキュー
スチュワート・ニール
ジェズ・ストロード

カジャグーグー(Kajagoogoo)は、イギリス音楽グループ1983年リマールがバンド形態のアール・ヌーヴォー(Art Nouveau、当時はThe Handstands)に加わる形で結成された。
目次

1 来歴

1.1 結成

1.2 1981年 - 1985年

1.3 解散後1986年以降

1.4 再結成


2 メンバー

3 日本公演

4 ディスコグラフィ

4.1 スタジオ・アルバム

4.2 ライブ・アルバム

4.3 コンピレーション・アルバム

4.4 シングル

4.5 映像作品


5 脚注

6 外部リンク

来歴
結成

1979年、ロンドン近郊のレイトン・バザードで同じ学校の友人であったニコラス(ニック)・ベッグス、スチュワート・ニール、マネージャー役のポール・ライアンと、別の学校の友人であったスティーヴ・アスキュー、ジェレミー(ジェズ)・ストロードは、当初、それぞれ別々のバンドで活動をしていたが、ジェズがアルバイトしていた「エンジェルカーズ」という倉庫でジャムセッションを行うことになって、5人は意気投合、アール・ヌーヴォーを結成し本格的なバンド活動を開始した。彼らは、ジンピードレイクレコードから100枚だけプレスしたシングル「Fear Machine」を発表し、パブやクラブを中心にライブ活動をしていたが、アール・ヌーヴォーとして中々芽が出なかった彼らは新たにボーカリストを探し始めていた。

1980年、俳優と歌手を目指していたクリストファー・ハミル(Christopher Hamill、後のリマール)は、2枚のシングル「It's Christmas」と「Angel」を発表し、ソロでメジャー・デビューを目指していた。その後もソロ名義で「Who Shall I Be Today」や、「Kris」という名前でデュエットした「Strange Kinda Love」などを歌ったがヒットに結びつかず、新たにバンドのボーカリストとして道を模索し始め、雑誌「Melody Maker」にバンド募集の広告を掲載した。広告を掲載した後、100組近いバンドと会ったがどれもパッとせず、一時渡米し、戻った時にボーカリストを探していたニックから連絡をもらい、ニックが送った「Fear Machine」を聴いて一気に気に入り、バンド加入を決めた(特にB面の「Animal Instincts」が気に入って、後にリマールのボーカルで録音し直し、「Ooh To Be Ah」のカップリングとして収録された)。

加入と同時にハミル(Hamill)は名前の綴りの配列を変えてリマール(Limahl)と名乗り、バンド名もその頃のThe Handstandsからカジャグーグー(Kajagoogoo)に変更した。

5人になったカジャグーグーはメジャーデビューへ向けて曲作りに励んだ。当時の彼らはエルトン・ジョンのカバーや、「Ever So Lonely」、「Don't You Want Me」など未発表のオリジナル曲を作っていた。中でも「Shy Shy」(後の「Too Shy」)や、「Ooh To Be A」(後の「Ooh To Be Ah」)は完成度が高く、ライブでも評判は良かった。
1981年 - 1985年

1981年にリマールのガールフレンドがデュラン・デュランサイモン・ル・ボンと知り合いで、その関係から新たなバンド・プロデュースをしたがっていたニック・ローズを紹介され、ニック・ローズが彼らをEMI ロンドンに紹介する形でメジャーデビューを果たす。

1982年デビューに当たってシングルを選曲する際に、プロデューサーを務めたニック・ローズとデュラン・デュランのアルバムのプロデュースをしたコリン・サーストンが共に一番気に入っていた「Shy Shy」を若干、歌い方を変え、タイトルも「Too Shy」(邦題「君はTOO SHY」)として発表、同様に「Ooh To Be A」も「Ooh To Be Ah」と変更して2ndシングルとして準備した。

1982年12月、1stシングル「君はTOO SHY」を発表、翌年1月にはUKチャート1位になり、「デビュー曲でNo.1」の快挙をはたす(その他、ヨーロッパ7ヶ国でも1位となる。米国では5位)。

同年、4月には2ndシングル「Ooh To Be Ah」と、1stアルバム『君はTOO SHY (White Feathers)』(プロデューサーはニック・ローズとコリン・サーストン)を発表、シングルはチャート7位まで上がる。6月には3rdシングル「ハング・オン・ナウ」を発表、チャート13位まで上がる。その頃、アメリカではイギリスより遅れて発表された「君はTOO SHY」がUSビルボード誌で5位まで上がり、それに気を良くしたリマールはミキサーのティム・パーマーと共に「ハング・オン・ナウ」のリミックス盤をアメリカ版シングル(米国78位)として発表した。

同時期に行っていたイギリスツアーも好評で順調に活動している様に思えたが、ツアー終了後の7月に表向きは「音楽の方向性の違い」を理由にリマールが脱退する(実情は「音楽の方向性の違い」ではなく、リマールが「君はTOO SHY」や他の曲の作詞・作曲に関するギャランティの配当を50%という法外な割合をバンドに要求し、均等配当を考えていたニック達やマネージャーのポール・ライアンを困惑させたことが原因。ジェズはリマールの要求にある程度理解を示したものの、マネージャーを含んだ他の4人は否定的だったことから、リマールと彼らの仲に溝ができ、クビにされた)。

1983年8月、4人に戻ったカジャグーグーは、ニューヨークに行ったことをモチーフに作った新曲「ビッグ・アップル」を発表、前作と同じくコリン・サーストンをプロデューサーに迎え、前シングルを上回るチャート8位まで上がる(このC/W「Monochromatic」ではニックの声で歌われているが、曲の頭と終わりのライブMCを良く聴くとリマールの声になっている、アール・ヌーヴォー時代の曲)。

ソロになったリマールは「ハング・オン・ナウ」で手を組んだティム・パーマーと、ファッションのディー・ハリスと共に12月に1stシングル「オンリー・フォー・ラヴ」を発表する。


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