カシワクラ ツトム
プロフィール
本名柏倉 つとむ
(読み同じ)
性別男性
出身地 日本・神奈川県相模原市[1]
生年月日 (1966-03-01) 1966年3月1日(58歳)
血液型B型[2]
身長166 cm[3]
職業声優、音響監督
事務所Magus[4]
声優活動
活動名義柏倉 つとむ(2001年頃まで)
柏倉 ツトム(2002年 - 2004年9月)
カシワクラ ツトム(2004年9月 - )
活動期間1980年代 -
ジャンルアニメ、ゲーム
デビュー作アントニオ(『星銃士ビスマルク』)[5]
音響関連活動
活動期間2000年 -
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カシワクラ ツトム(1966年3月1日[2][6] - )は、日本の男性声優、音響監督。神奈川県相模原市出身[2]。Magus(マグス)所属[4]。
本名・旧芸名は柏倉 つとむ(読みは同じ)。音響監督の仕事を始めた当初は柏倉 ツトムの名前でも活動していた。2004年9月に現在の芸名に変更[4]。 大の漫画・アニメ好きで、特に少女漫画が好きで、妹が何冊か月刊雑誌を買っており、中学生になり漫画に興味を湧き始める[6][7]。少女漫画を描いてみようと考えて道具を色々と揃えていたが、才能がないことに気付いて挫折[6][5]。 その後、アニメにも興味を持ち、芝居や声優にも興味が出てくるようになり[7]、職業としての声優を知り、テレビやラジオの番組制作にも興味を持ち、放送委員会に所属[5]。 高校に進学後、舞台など観るようになってからは高校3年生の時に芝居を勉強するサークルに参加し、高校卒業後、アルバイトを経験[7]。 いつか『マジンガーZ』の兜甲児の役をやってみたいと思っており、その夢の延長で知り合いだったナレーターとして活動していた人物が講師になるという理由で誘われて[6]アーツビジョン演技研究所の1期生となった[8]。 19歳の時に偶々好きだった漫画である岡崎つぐおの『ジャスティ』がアニメ化される話を聞いて小学館と制作会社とディレクターに電話[6]。 当初は高い声であり、女性に間違われて「男です」と言ったところ興味を持ってくれて同養成所卒業後、「もう一度電話してください」と言われ、デモテープを聞いて「じゃあ、やれる役があったら」と一週間後くらいに『星銃士ビスマルク』のアントニオ役で呼ばれて[6]、フリーで声優デビュー[7]。 2000年頃より音響監督も務めるようになる。 役柄としては子供、少年、青年など色々なキャラクターを演じており、ほんの僅かだが、中年、老人も演じていた[5]。 長年演じている『ちびまる子ちゃん』のはまじ役に関しては「兄弟の面倒をよく見て、僕よりもしっかりものだが、どこか抜けているところは共通点」と語る[8]。2018年の「さくらももこさん ありがとうの会」では、モデルである実在の浜崎憲孝と「W(ダブル)はまじ」として共演を果たした[10][11]。 テレビゲームとパソコン好き。ゲームに関しては新作ソフトは一通り買い、寝食も忘れてやりこんでしまうほど(本人曰く「猿のラッキョウ剥き状態」)であり、ゲームを止めるためにテレビのモニターにタイマーをつけていた[8]。 太字はメインキャラクター。
経歴
人物・エピソード
出演
テレビアニメ
1985年
機動戦士Ζガンダム(ナビゲーター)
星銃士ビスマルク(アントニオ)
1986年
機動戦士ガンダムΖΖ(1986年 - 1987年、グレミー・トト[12])
めぞん一刻(学生B 他)
1987年
エスパー魔美(生徒C、生徒B、少年B、生徒A、スタッフB、男子生徒A、男子生徒)
機甲戦記ドラグナー(ダン・クリューガー[13])
プロゴルファー猿(二期生(2))
1988年
トランスフォーマー 超神マスターフォース(ライトフット[14])
ハロー!レディリン(ポール)
ひみつのアッコちゃん(1988年)(新谷少年)
ビックリマン(ピーコック帝子、橋かける蔵王、お払い聖武)
ビリ犬(1988年 - 1989年、大福マメオ[15]) - 2シリーズ
1989年
青いブリンク(ランディ)
それいけ!アンパンマン(1989年 - 1993年、やかんまん〈初代〉、パンポン、わさびさん)
チンプイ(子供A、生徒)
らんま1/2 熱闘編
1990年
キャッ党忍伝てやんでえ(ミエトル、カラス忍者A、ギヤマン0号B)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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