カシオ計算機株式会社
CASIO COMPUTER CO., LTD.
カシオ本社社屋
種類株式会社
機関設計監査等委員会設置会社[1]
市場情報東証プライム 6952
カシオ計算機株式会社(カシオけいさんき、英: CASIO COMPUTER CO., LTD.)は電卓、電子辞書、電子楽器、時計などを扱う日本の電機メーカー。本社所在地は東京都渋谷区本町1-6-2。東京証券取引所プライム市場上場。日経平均株価の構成銘柄の一つ[2]。
製品やサービスなど正式なブランド名としてカシオ(CASIO)が使われている、また同法人を示す通称としても使われる。
「カシオ計算機」の社名が象徴するように、創業時は電気式計算機(リレー式計算機 14-Aなど[3][4])などを生産、後に電子式卓上計算機(電卓)を発売する。その後、電卓デバイスを基礎に事業分野を拡大し、現在の主な事業分野は電卓、電子文具、時計などの個人向け情報機器や、システム機器、電子デバイスなどの製造と販売。近年は電波時計や電子辞書、TFT液晶などを主力商品として積極的に展開している。かつては携帯電話、デジタルカメラも手がけていたが現在は撤退している。
かつての本社は新宿の住友三角ビルにあったが、後に初台に自社ビルを建設した。
社是は「創造 貢献」で、これは「世の中になかったものを創造することによって社会に貢献する」という意味である。英語ではそのまま「Creativity and Contribution」と英訳されている。
ブランドイメージリレー式計算機 14-A(国立科学博物館の展示)
「計算機」の名の通り、電卓以前のリレー式計算機14-Aから電卓の時代を通って成長した企業・ブランドであり、電卓及びそれに類する電子製品のメーカーとして知られる。
特に大ヒットした電卓カシオミニにおいて顕著だったが、大胆な価格設定と割り切ったスペックでどこでも簡単に使える、といった新しい切り口の製品を発売し、時には新しい商品分野のブームの端緒となるようなヒット商品も作る。「糸井重里の萬流コピー塾」において題「ワープロ」への投稿で (松) の評価を取った「今買うな、カシオがきっと、何かやる」[5]や、パソコン雑誌『PC-WAVE』の「目の付け所がカシオ」(シャープの宣伝コピー「目の付け所がシャープでしょ」のパロディ)といった言葉がある。 創業者の名字「樫尾」をヘボン式ローマ字で書けば「KASHIO」だが、これをあえて「CASIO」としたのは、創業当初から「世界で親しまれる企業になる」という目標があったため。このロゴであることから、日本以外では日本の企業と思っていない人も多い。特にイタリアの企業と間違われやすい。ちなみにイタリアの元子役サルヴァトーレ・カシオ(Salvatore Cascio 出演作:ニュー・シネマ・パラダイスなど)はカシオのCMに起用されたことがある。 (以下の記述においては、「世界初」といったような表現に付随している形容に注意。たとえばQV-10の場合「液晶モニターつき」という部分が「世界初」なのであるが、同機の成功要因はそのような個別の機能というよりも、価格の安さなどを含む総合面にあり、一部メディア等が囃しがちな「世界初」に注目することは、むしろ要点を見逃す原因となる)卓上型電子計算機の広告(1967年)世界初の液晶モニタ搭載デジタルカメラ
ブランドロゴの由来
役員
取締役
代表取締役
樫尾 和宏増田 裕一
取締役
高野 晋樫尾 哲雄山岸 俊之
社外取締役
尾ア 元規数原 英一郎
取締役 監査等委員(常勤
山口 昭彦
社外取締役 監査等委員
千葉 通子阿部 博友
執行役員
社長
増田 裕一<CEO 兼 CHRO>
専務執行役員
樫尾 隆司<コーポレートコミュニケーション本部長>
常務執行役員
高野 晋<CFO>樫尾 哲雄<CS本部長>持永 信之<NBセンター長>太田 伸司<教育BU 事業部長>篠田 豊可<環境戦略・次世代環境構築担当>伊東 重典<営業本部長>河合 哲哉<開発本部長>
執行役員
山岸 俊之<コーポレートガバナンス戦略担当>稻田 能之<物流部長>田村 誠治<IR・財務戦略担当>加藤 朋生<カシオアメリカ 会長>鳴瀧 康正<経営統轄部長>田中 徹<カシオ中国董事長>山下 和之<カシオヨーロッパGmbH 社長>前田 卓紀<サウンドBU事業部長>藤井 茂樹<システムBU事業部長>
沿革
QV-10電子楽器CZ-300032ビットゲーム機ルーピー
1946年(昭和21年)04月 - 樫尾忠雄が東京都三鷹市(当時は北多摩郡三鷹町)に樫尾製作所を設立。
1954年(昭和29年)12月 - 機械式計算機が主流だった時期に歯車などの機械的機構を用いず、演算素子に継電器(リレー)を使った小型純電気式計算機の試作機を完成。
1957年(昭和32年)06月 - 商用機「14-A」を世界で初めて開発した[6][7]。開発に携わった忠雄・俊雄・和雄・幸雄の樫尾四兄弟によってカシオ計算機株式会社が設立される。初代社長は四兄弟の父親である茂が就任する。
1965年(昭和40年)09月 - 電子式卓上計算機「001」発売。
1972年(昭和47年)08月 - 世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を12,800円で発売し、後継シリーズも合わせて累計1000万台以上の爆発的ヒットを記録。
1974年(昭和49年)11月 - 世界で初めてのフルオートカレンダー(大の月・小の月・閏年の調整が不要)機能を搭載したデジタルウオッチ「カシオトロン」発売。