カコトック
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カコトック
Qaqortoq
Julianehab
Qaqortoq


紋章

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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯60度43分20秒 西経46度02分25秒 / 北緯60.72222度 西経46.04028度 / 60.72222; -46.04028座標: 北緯60度43分20秒 西経46度02分25秒 / 北緯60.72222度 西経46.04028度 / 60.72222; -46.04028
State デンマーク王国
構成国 グリーンランド
Municipality クヤレック
創設1774
政府
 ? 町長シモン・シモンセン
人口(2013)
 ? 合計3,229[1]
等時帯UTC-2
 ? 夏時間UTC-1
郵便番号3920
ウェブサイト ⇒qaqortoq.gl
カコトックの街並み

カコトック(グリーンランド語: Qaqortoq /qaq?t.t?q/ 発音[ヘルプ/ファイル]、1973年まではKakortok)は、グリーンランド南部の町。デンマーク語名はユリアーネホープ(Julianehab、1948年まではJulianehaab)。カコルトクとも表記される[2]

人口は約3,100人と、グリーンランド南部で最も大きな町のひとつである。があり、漁業などが行われている。カコトックはグリーンランド語で「白いもの」を意味する。カコトックの地方自治体はこの町とカコトック周辺の3つの集落を管轄している。近郊にあるフヴァルセー(Hvalsey)の遺跡は、グリーンランドにおけるノース人の遺跡として知られる。
歴史

カコトック周辺は先史時代から人類が居住していた。約4,300年前にサカク文化が始まり、連続的に人類が住み着いた。
サカク文化詳細は「サカク文化」を参照

人類がカコトックに居住していた最初の痕跡は、BPにより約4,300年前のものと推定される。サカク時代の居住地はグリーンランドで多数見つかっているが、それらの多くはカコトック周辺に集中している[3]。欠けた石のドリルなどの道具も見つかっている[4]
ドーセット文化詳細は「ドーセット文化」を参照

約2,800年前にドーセット人がカコトック周辺に到達した[5]。初期のドーセット文化を特徴づける長方形を組み合わせた泥炭住居構造の遺構がカコトック周辺で多く見られる。
ノース文化詳細は「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」を参照

南グリーンランドの歴史は10世紀後半のノース人の到着から始まる。グリーンランドにおけるノース人の遺跡として最もよく知られるフヴァルセー(Hvalsey)の遺跡は、カコトックの北東19キロメートルに位置する。ノース人とトゥーレ人の間では、わずかな貿易が限定的に行われていた。その地域のトゥーレ人居住地で見つかった少数の小説作品や外来品を除いた証拠からは、文化交流が当初は散発的であったと窺える。その後、南グリーンランドのノース人はヨーロッパ向け象牙の主要な供給源として、南部イヌイットとの貿易を始めた。ノース人の時代は15世紀半ばに終焉を迎えるまで、約500年間も続いた。ノース人の記録は、1408年のHvalseyjarfjord教会での結婚式の記録に現れたのが最後となった[6]
トゥーレ人詳細は「トゥーレ人」を参照

トゥーレ人と呼ばれるトゥーレ文化を持ったイヌイットは、12世紀頃に南部グリーンランドやカコトックの地域にノース人とほぼ同じ時期に到達した。しかし、トゥーレ人とノース人が接触し始めたころの記録はほとんど残っていない。トゥーレ文化は自給自足の生活を特徴としており、彼らの住居地の跡からは住居の遺構や道具が発見されている。
植民地化から現在まで詳細は「en:Danish colonization of Greenland」を参照

現在の町はデンマーク=ノルウェーの商人でGeneral Trading Company(英語版)の代表アンダース・オルセンにより1774年に造られたものである[7]。デンマーク女王ユリアーネ・マリー・フォン・ブラウンシュヴァイクにちなんで、この町はJulianehaabと命名された(この町の名前は、しばしばJulianshaabと誤表記された[8])。時代によっては、Juliana's Hopeとイギリス風の名前を冠したこともあった[9]。町が発展するにつれてタテゴトアザラシ貿易を担う中心地となり[10]、この地では現在でもアザラシ皮鞣しが盛んである。

2008年12月31日まで、カコトックの自治体の行政の中心地であった。2009年1月1日、カコトックは最大の町およびクヤレック自治体の行政の中心地となり、カコトックの自治体ナルサーク、Nanortalik(英語版)は消滅した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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