カオダイ教
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カオダイ教のシンボル「カオダイの目」カオダイ教の礼拝

カオダイ教(カオダイきょう、高台教、ベトナム語:??o Cao ?ai / .mw-parser-output .vi-nom{font-family:"Nom Na Tong","Han-Nom Gothic","Han-Nom Ming","HAN NOM A","HAN NOM B","TH-Khaai-TP0","TH-Khaai-TP2","TH-Khaai-PP0","TH-Khaai-PP2","TH-Sung-PP0","TH-Ming-JP0","TH-Ming-JP2","TH-Sung-PP2","TH-Sung-TP0","TH-Sung-TP2","TH-Sy-P0","TH-Sy-P2","Ming-Lt-HKSCS-UNI-H","Ming-Lt-HKSCS-ExtB","FZKaiT-Extended","FZKaiT-Extended(SIP)","FZKaiS-Extended","FZKaiS-Extended(SIP)","Sun-ExtA","Sun-ExtB","MingLiU","MingLiU-ExtB","MingLiU_HKSCS","MingLiU_HKSCS-ExtB","SimSun","SimSun-ExtB",sans-serif}.mw-parser-output .vi-nom .ext{font-family:"Han-Nom Gothic","Han-Nom Ming","Han-Nom Minh","TH-Khaai-TP2","TH-Khaai-PP2","TH-Ming-JP2","TH-Sung-PP2","TH-Sung-TP2","TH-Sy-P0","TH-Sy-P2","Sun-ExtB","MingLiU HKSCS-ExtB","Ming-Lt-HKSCS-ExtB","HanaMinB","Han-Nom Kai",sans-serif}道高臺)は、ベトナム新宗教1926年、ファム コン タック(ベトナム語: Ph?m Cong T?c /  , 1890年- 1959年)[1]とレ・ヴァン・チャウン(ベトナム語:Le V?n Trung / 黎文忠, 1876年 - 1934年12月19日)によって唱えられた。五教(儒教道教仏教キリスト教イスラム教)の教えを土台にしたことから、カオダイ=高臺(高台)と名付けられた。
概説カオダイ教総本山の中央礼拝堂

ホーチミン市から北西約100kmのタイニン省ベトナム語:T?nh Tay Ninh / 省西寧)ホアタイン市社ベトナム語:Th? xa Hoa Thanh / 市社和城)に総本山がある。信徒数は約100万から300万と言われ、タイニン省の人口の7割あるいは3分の2がカオダイ教の信者だと言われる。カオダイとはベトナム道教の最高神玉皇上帝のことであり、総本山教会堂の祭壇中央に信者を見下ろすように設置される目だまは、カオダイの神の目である。これは天眼と呼ばれ「宇宙の原理」「宇宙の至上神」の象徴とする。この目玉はカオダイ教のシンボルマークでもある。教義では、キリスト教的な要素、特に聖職者の階級制度を採用していると言われるなどカトリックの側面が見られる一方で、古来からの精霊崇拝の要素も見られる。孔子老子釈迦観音菩薩キリストムハンマド、さらには李白太上老君老子)、ソクラテストルストイヴィクトル・ユーゴーなどを聖人使徒と仰ぐ。1959年に死んだファン・コン・タック(ベトナム語版、英語版)という人物がカオダイの新たな教祖として祀られている。タックはキリスト教徒であったが仏教、儒教、老教、キリスト教に神道を束ね世界の救済を行ったとされる[2]

カオダイは第1回目の人類救済のために釈迦の姿を借り現世へ現れ、第2回目はキリストと老子の姿を借りて現れた。現在、3回目の人類救済のために東西諸宗教を統合したとされる[2]

総本山の建物は南国的かつ色彩的な外観であり、内部には色とりどりのネオンが取り囲み祭壇は派手でけばけばしい(もっとも、ベトナムでは田んぼの脇の祠から廟、寺の本尊、教会に至るまでLEDやネオンで飾るのは一般的である)。一般信徒は主に白色のアオザイ(衣長)を身に着け、日に4回の礼拝を行う。礼拝は声明のようなものが唱えられ、信者らはひれ伏し2回の鳴物入りの合唱隊とともに不思議な酩酊状態が作り出される[2]

フランス領インドシナ時代には独自に私兵団や自治機構を持ち反フランス運動を展開する一方で、インドシナ戦争中にはベトミン(ベトナム独立同盟会)と戦った。ジュネーヴ協定によってベトナム共和国(南ベトナム)が成立すると、カトリック教徒の政権がカオダイ教やホアハオ教(和好教)、ビン・スエン派などの私兵団を武装解除する動きを見せたため、武力抵抗を図ったが鎮圧された。
画像

ミトーのカオダイ教寺院の祭壇

ダラットのカオダイ教寺院

脚注[脚注の使い方]^ Ngo Minh Chieu は宗教名で、本名はゴ・ヴァン・チェウ(ベトナム語:Ngo V?n Chieu / ?文昭)。
^ a b c 高樹のぶ子『アジアに浸る』(文藝春秋社 2011年2月25日)

参考文献

高樹のぶ子『アジアに浸る』(文藝春秋社 2011年2月25日)

関連項目

ホアハオ教

三一教

大本

生長の家

バハイ教

世界紅卍字会

フリーメイソン

イルミナティ

プロヴィデンスの目

外部リンク

Cao ?ai site

ベトナムの新宗教団体 カオダイ教本部、クチトンネル潜入取材(丹波新報社)
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、カオダイ教に関連するメディアがあります。










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