紋章地図
基本情報
連邦州:バイエルン州
行政管区:シュヴァーベン行政管区
郡:郡独立市
45,118人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:1,127 人/km2
郵便番号:87600
市外局番:08341
ナンバープレート:KF
自治体コード:
09 7 62 000
行政庁舎の住所:Kaiser-Max-Strase 1
87600 Kaufbeuren
ウェブサイト:www.kaufbeuren.de
首長:シュテファン・ボッセ (Stefan Bosse)
州内の位置
地図
カウフボイレン旧市街
カウフボイレン (ドイツ語: Kaufbeuren, ドイツ語発音: [ka?uf?b??yr?n] ( 音声ファイル)[2]、アレマン語: Kaufbeire) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区に属す郡独立市である。この都市はオストアルゴイ郡に完全に囲まれている。 カウフボイレンはアルゴイ地方
地理
市区
カウフボイレン(旧市街)
ヒルシュツェル
ケムナート(クラインケムナート、グロースケムナート)
ノイガブロンツ
オーバーガブロンツ
歴史カウフボイレン(ケムナート)の城(1802年)
カウフボイレンは740年頃に、初めはバイエルン族との国境に近い行政拠点および軍事上の背後拠点として、フランク朝の王領に建設された。ヴェルフェン家の遺領を継いだボイレン家は11世紀末にこの地を本拠地に定めた。最初の文献上の記録は1126年になされている。12世紀末にシュタウフェン家の下で都市に昇格した。1286年2月3日にルドルフ1世により帝国自由都市特権を与えられて以降、1803年までこの地位にあった。カウフボイレンは1377年にテック公フリードリヒに、1388年にバイエルン公に包囲されたが陥落しなかった。この街は1802年にバイエルン領となった。
1939年から、カウフボイレン北東の森にダイナマイト・ノーベルAG(旧アルフレート・ノーベル & Co.)が建設され、弾薬などでドイツの戦時経済を支えた。マウアーシュテッテンのシュタインホルツ地区にダッハウ強制収容所の外部収容所として設けられたリーダーローエ収容所の収容者がこの工場で強制労働に従事した。第二次世界大戦後、ズデーテン地方のガブロンツ・アン・デア・ナイセからの移住者によって、現在のノイ・ガブロンツ地区が創設された。
1944年5月から1945年4月までの間、旧綿糸紡績工場跡地にダッハウ収容所の外部施設としてアルラハ強制収容所が設けられていた。ここには300人から600人が収容され、BMWで軍需品製造の強制労働に従事した。
現在の行政管区立精神・神経病院は、ナチス専制時代にはファーレンティン・ファルトルハウザーの管理下に約2000人の精神病患者が集められていた。彼らは、安楽死による殺害活動「T4作戦」により、ハダマール、グラーフェネック、ハルトハイムの絶滅収容所に輸送された。これらの犠牲者を偲んで1989年に修道院教会の裏に記念碑が建立された[3]。 年齢別の人口構成は以下の通りである。15 歳未満15.4% 東欧からの遅れてきた移住者は約12%と比較的多い。ズデーテン地方からのドイツ系ズデーテン人とならんでドイツ系ロシア人もカウフボイレンに根付いている。外国人全体では人口の20%以上を占めている。 カウフボイレン住民は現在、ローマ・カトリック教会に属すものが多い。だが、宗教改革の時代、カウフボイレンはプロテスタントの帝国自由都市であった。かなりの数のプロテスタント信者がいることに、その痕跡を見ることができる。 これらに加えて、自由教会やキリスト教系新宗教も存在している。キリスト再臨派 イスラム教少数派のトルコ人やクルド人は、カウフボイレンのスンニ派のモスクを訪れている。 カウフボイレンの旧市街にはクレセンティア修道院(フランシスコ会)がある。 市議会は40議席からなる。これは人口30,001人から50,000人の都市の市議会議員の定数である。2020年3月15日の選挙結果に基づく政党別議席数は以下の通りである[4]。 政党・政治団体議席数 カウフボイレンには多くの、特に歴史的な古い見所がある。ゲオルク・フォン・ハウバーリッサー
住民
人口構成
15?18 歳3.3%
18?25 歳7.9%
25?35 歳12.2%
35?60 歳33.6%
60 歳以上27.5%
宗教
行政
市議会カウフボイレン市庁舎
CSU13
SPD3
B90/G7
FDP1
Die Linke1
AfD1
Freie Wahler Bayern6
Kaufbeurer Initiative e.V.4
Generation KF4
姉妹都市・庇護協力関係
フェラーラ(イタリア、エミリア=ロマーニャ州)1991年
ソンバトヘイ(ハンガリー、ヴァシュ県)1992年
カウフボイレン市はドイツ都市会議の提案に基づき、1954年にガブロンツ・アン・デア・ナイセ(現 ヤブロネツ・ナド・ニソウ)への庇護協力を引き受けた。1981年には周辺の郡全域を対象とするよう拡大した。2004年以降カウフボイレンは「ドイツ人追放反対センター」財団に参加している。
文化と見所フュンフクノプフ塔
フュンフクノプフ塔(五つ玉の塔)- 市街地に面した側には巨大な盾型レリーフが掲げられている。これは1917年に設けられたもので、ドイツと同盟国の国旗をあしらっている。
ヘクセン塔(魔女塔)
ゲルバー塔(革なめし職人の塔)
プルファー塔(火薬塔)
ミュンツ塔(コイン塔)
ジヴォレン塔(丸形の塔)
ツォルホイスヒェン(税関小屋)
といった建物は、旧市壁と一体化して造られており、市壁の歩哨路沿いに見て回ることもできる。カウフボイレン市立劇場や芸術の家は訪れるべき文化スポットである。
カウフボイレン修道院
税関小屋
カウフボイレンの市壁の内側
教会聖ドミニクス教会
聖ドミニクス教会はカウフボイレンで最も古い教会である。1182年に建造された後、ゴシック様式に改築され、さらにバロック様式に改造された[5]。
ローマ・カトリックの聖ブラジウス教会
ローマ・カトリックの聖マルティン都市教区教会の歴史は13世紀の先代の建物に遡る。