カイロ
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この項目では、エジプトの都市について説明しています。

暖房器具については「懐炉」をご覧ください。

その他の用法については「カイロ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

カイロ
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カイロ県
?????? ???????



紋章

各県図におけるカイロ県の位置
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座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度2分 東経31度14分 / 北緯30.033度 東経31.233度 / 30.033; 31.233座標: 北緯30度2分 東経31度14分 / 北緯30.033度 東経31.233度 / 30.033; 31.233
 エジプト
建設969年
政府
 ? 種別
 ? 知事Khaled Abdel Aal[2]
面積[3][4]
 ? 3,085.12 km2
標高23 m
人口(2021年調査)
 ? 10,025,657 [1]
 ? 推計(2021)10,025,657 [6]
 ? 密度3,249人/km2
 ? 都市圏21,323,000 [5]
等時帯UTC+02:00 (EST)
市外局番(+20) 2
ウェブサイト ⇒Cairo.gov.eg

カイロ県(カイロけん、アラビア語: ?????? ???????‎、英語: Cairo Governorate)、通称カイロ(アラビア語: ???????‎、al-Q?hira:アル・カーヒラ、 発音[ヘルプ/ファイル], コプト語: ??????, Kahire, 英語: Cairo)は、エジプト首都。27の(ムハーファザ)のひとつ。

アラブ世界で最も人口の多い都市であり、アラブ世界及び中東を代表する世界都市の一つ。アラブ連盟の本部所在地でもあり、アラブ文化圏の中心都市である。
概要カイロ市街カイロ市街ナイル川のゲジラ島から見た中心部、手前右にオペラハウス

ナイル川下流河畔の交通の要衝として、中世に建設されてより現在に至るまで長い時代を通じ、イスラム世界の学術・文化・経済の中心都市であり続けた。都市自体の人口は965万6074人(2018年推定[7])、近郊を含めたグレーター・カイロ(カイロ都市圏)の人口は1,591万人で、世界第17位である[8]。カイロ都市圏の人口はその後(2016年時点)約2200万人へ増えた[9]

アメリカのシンクタンク2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界62位の都市と評価された[10]アフリカ大陸の都市ではヨハネスブルグに次ぐ2位である。一方、日本の民間研究所2016年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では世界41位と評価されており、アフリカでは1位である[11]プライスウォーターハウスクーパースが公表した調査によると、カイロの2008年の都市GDPは1450億ドルで、世界第42位、アフリカでは第1位である[12]

エジプトの乾燥した大地にナイル川が形作った肥沃なデルタ地帯のほぼ南端、要に位置し、河谷を流れてきたナイル川がデルタを形成する、その先端に位置する。エジプトはナイル河谷地方の上エジプトとデルタ地方の下エジプトとに古代エジプト以来二分されており、その両者の接点にカイロは位置する。イスラム帝国7世紀にエジプトを征服した時、征服者アラブ人の住まう軍営都市(ミスル)が置かれて以来のエジプトの首府である。

日本語でよく知られる都市名のカイロは、英語名の Cairo に由来しており、現地語であるアラビア語ではアル・カーヒラ(??????? ; al-Q?hira [al?q??h???]、現代エジプト方言ではエル・カーヘラ [elq?(?)?he??])という。しかし、現在でもミスル(??? ; Mi?r [mis??]、現代エジプト方言ではマスル [m?s??]。元々は「エジプト」を意味する呼称)という通称がよく用いられる。

カイロの中心都市はナイル川の右岸、東側に位置する。ナイルをはさんで対岸の西郊には、ピラミッドで有名なギーザの町がある。町の南は古代エジプトの中心都市の一つ、メンフィスである。
歴史カイロ郊外、ギーザ三大ピラミッドカイロ郊外、ギザの大スフィンクスとカフラー王のピラミッドエジプト考古学博物館
古代

古代エジプトからローマ属州時代は、ヘリオポリスが近郊にあったが、カイロ自体はナイルデルタの湿地帯に小規模の集落が点在するだけの未開地だった。定住者が少なかったこともあって、イスラム帝国侵攻前の時代の遺跡はほとんど見つかっていない。ナイル川対岸の西側のギーザ台地には三大ピラミッドが築かれているが、そのギーザも古王国時代の終焉とともにピラミッド信仰も衰退していったため、エジプト新王国時代には廃墟となっていた。

アケメネス朝の時代に現在のバビロン城のあるところにが築かれたとの説(ヨセフス)もあるが、ローマ帝国アウグストゥスの時代に3つの軍団の司令部が置かれた(史料:It. Anton.(英語版); Georg. Ravenn. etc.) 。ローマの支配時代を通じて、バビロン城に軍団が駐屯し、現在でも遺跡が残っている。
イスラム帝国時代

イスラム帝国の将軍アムル・イブン・アル=アースは、639年にエジプトへの侵攻を開始して東ローマ帝国の駐留軍を破り、643年にローマ軍の駐屯都市バビュロンの近くにアラブによるエジプト支配の拠点として軍営都市を築き、「フスタート」の名を与えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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