カイサリアのバシレイオス
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カイサリアのバシレイオス
(聖大ワシリイ)
カイサリアのバシレイオス(聖大ワシリイ)の細密画(15世紀アトス山
正教会で)
成聖者神学者・聖神父・大司祭首
西方教会で)
教会博士
他言語表記: Βασ?λειο? Καισαρε?α?
生誕330年
カイセリ
死没379年
カイセリ
崇敬する教派正教会
東方諸教会
カトリック教会
聖公会
ルーテル教会
記念日

正教会


1月1日(永眠記憶。ユリウス暦使用教会では1月14日

1月30日三成聖者祭。ユリウス暦使用教会では2月12日

カトリック教会聖公会


1月2日

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カイサリアのバシレイオス(カエサレアのバシリウス)(ギリシア語: Βασ?λειο? Καισαρε?α?, ラテン語: Basilius Caesariensis, 330年頃 - 379年)は、ギリシア教父4世紀の最も重要なキリスト教神学者の一人である。カイサリア(現在のカイセリ)の主教司教)を務めたことからこの名があり、大バシレイオス(ギリシア語: Μ?γα? Βασ?λειο?, ?γιο? Βασ?λειο? ο Μ?γα?, ラテン語 : Basilius Magnus)とも呼ばれる。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。三位一体論の形成など異端反駁の一方、正教会で用いられる聖体礼儀奉神礼文を整備したことでも知られる。日本正教会での正式な称号を伴った呼び名は「我が聖神父カッパドキヤのケサリヤの大主教大ワシリイ」[1]。バシル、聖バシルとも。「聖大ワシリイ聖体礼儀」も参照
転写

バシレイオス(Βασ?λειο?, ギリシャ語の慣用形)の名は、バシレイウス、バシレウス、バシリウス(Basilius, ラテン語形)等とも表記される。日本ハリストス正教会では、中世のギリシャ語であるヴァシリオスを反映した教会スラヴ語転写を、ロシア語風に再建した音(ロシア正教会奉神礼で用いられる読み)から転写して聖大ワシリイと呼ぶ。ロシア語ではヴァシーリー(Василий)にあたる。日本のカトリック教会ではラテン語奪格形(: Basilio)の教会式発音に基づいて聖バジリオと表記される[2]
生涯

カッパドキア(現在のトルコ)の裕福なキリスト教徒の家庭に生まれる。コンスタンティノポリス、またアテナイに遊学し、哲学を学ぶ。アテナイで同郷のナジアンゾスのグレゴリオスと出会い、親交を結ぶ。アテナイでキリスト教信仰に深く傾倒したバシレイオスは、カッパドキアに戻ったのちは、隠棲して一種の修道生活を送っていた。「大ワシリイの修道規則」と呼ばれるその修道生活の指針は、東方一帯に渡っていまも影響力をもっている。370年、カイサリア主教(司教)に就く。アリウス主義サベリウス主義への反駁に務める。著書に『ヘクサエメロン』(Εξα?μερο? Δημιουργ?α, 370年頃)[3]などがある。また貧しい人のために、皇帝から賜った土地にバシレイアス(バシレイアドス)という町のような救貧施設を建設した[2]。これは、それまでの「ホスピタリウム」が単に聖地巡礼者の休憩宿泊所だったのを改め、らい病を含む病者の収容保護を兼ね、宿泊所、貧民収容所、孤児病者収容所、嬰児収容所に分化させ、福祉事業に貢献したものであった[4]
影響

正教会では特に崇敬され、中世半ばから、ナジアンゾスのグレゴリオスヨハネス・クリュソストモスとともに三成聖者として合同の祭りをもつようになった。なお東京復活大聖堂(ニコライ堂)の東面(至聖所)の二枚のステンドグラスはこの三成聖者のうち、大バシレイオスと金口イオアンのイコンである(南側ステンドグラスが大バシレイオス、北側ステンドグラスが金口イオアン)。

正教会で大斎の主日等で用いられる「聖大ワシリイ聖体礼儀」は彼に帰せられるが、現在使われている形は彼より後に整備されたものであると考えられる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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