カイオ・ドゥイリオ級戦艦
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カイオ・ドゥイリオ級戦艦

艦級概観
艦種戦艦
艦名人名
前級コンテ・ディ・カブール級戦艦
次級フランチェスコ・カラッチョロ級戦艦
orヴィットリオ・ヴェネト級戦艦
性能諸元(改装後)
排水量基準:22,964トン(28,700トン)
常備:25,216トン(29,000トン)
全長176.1m(186.9m)
全幅28m
吃水9.46m(常備:9.4m、満載:10.4m)
機関ヤーロウ式重油専焼水管缶8基
&ヤーロウ式石炭・重油混焼水管缶12基
+パーソンズ式低速タービン3基
&パーソンズ式高速タービン3基4軸推進
(ヤーロー式重油専焼水管缶8基
+ブルッゾー式ギヤード・タービン2基2軸推進)
最大出力32,000hp(85,000hp)
最大速力21.5ノット(27ノット)
航続距離10ノット/4,800海里
(12ノット/4,250海里、20ノット/3,390海里)
燃料石炭:1,476トン、重油:845トン(重油:2,550トン)
乗員1,000名(1,495名)
兵装30.5cm(46口径)3連装砲3基+同連装砲2基、
15.2cm(45口径)単装砲16基、
7.6cm(50口径)単装砲13基、
7.6cm(40口径)単装砲6基、
4cm(39口径)機砲2門、
45cm水中魚雷発射管
(32cm(43.8口径)3連装砲2基+同連装砲2基、
13.5cm(45口径)3連装砲4基、
9cm(50口径)単装砲10基、
37mm(54口径)機銃19基)
装甲舷側:250mm
甲板:97mm(135mm)
主砲塔: 280mm(前盾)、85mm(天蓋)
バーベット部:230mm(280mm)
司令塔:220mm(260mm)

カイオ・ドゥイリオ級戦艦 (:Navi da battaglia della Classe Caio Duilio) はイタリア海軍(王立海軍)戦艦の艦級。コンテ・ディ・カブール級戦艦に引き続き、イタリア海軍第一次世界大戦中に竣工させた3番目の弩級戦艦の艦級である。

カイオ・ドゥイリオは巨砲戦艦カイオ・ドゥイリオ級戦艦 (初代)の艦名を受け継ぐ2代目にあたる。なお、カイオ・ドゥイリオの方が進水も就役も早かったが、起工の早かったアンドレア・ドーリアを艦級名にアンドレア・ドーリア級戦艦(:Andrea Doria class battleship)と表記する文献もある。
特徴1923年時の本級の武装配置と装甲配置を示した図。

基本的な船体設計はカブール級を踏襲しているが、各所でカブール級での不具合を改善している。船体は短船首楼型型に改められ、艦首からカブール級より引き継いだ新設計の「1909年型 30.5cm(46口径)砲」を1・2番主砲塔を背負い式に2基、司令塔を組み込んだ開放式の操舵艦橋と1番煙突の間に立てられた前部三脚檣までにて船首楼甲板は終了しており、そこから後の甲板は一段下がって3番主砲が前向きに1基、中部に探照灯台を持つ後部三脚檣、2番煙突、後部見張り所、4番・5番主砲塔を後ろ向きで背負い式に2基配置した。主砲塔はカブール級と同じく、1番、3番、5番のみ3連装砲塔に、2番、4番のみ連装砲塔の変則配置である。

副砲配置はカブール級と大きく変化しており、口径も12cm砲から15.2cm砲と増しており「1909年型15.2cm(45口径)砲」を採用した。理由として従来の12cm砲ではオーストリア=ハンガリー帝国海軍が整備している水雷巡洋艦や大型化した駆逐艦への打撃力に不安があり、速射性能を犠牲にしても確実に巡洋艦級を撃破可能な15cmクラスの副砲が必要になったためである。また、装備形式も変化しており1番・2番主砲塔直下に放射状に左右にケースメイト配置で4基4門ずつ、4番、5番主砲塔直下の左右に放射状に4基4門ずつの片舷8基計16基16門を装備した。カブール級では首尾線に6門以上指向できる配置となっているが、本級では艦首尾方向に指向できるのは4門と減少しているが逆に左右舷側方向に最大8門が指向できるようになっている。これは、艦隊戦闘時に縦列陣形を用いた時に舷側方向へ最大限の火力を発揮できるようにする工夫である。

その他に対水雷艇迎撃用に「7.6cm(50口径)砲」をカブール級と同じく13門、「7.6cm(40口径)高角砲」を6門、45cm水中魚雷発射管を単装で2基を装備した。船体底部はカブール級と同様に艦首と艦尾が斜めになった分の重量を軽減できるカットオフ方式を引き続き採用し、舵は主舵と副舵を直列に装備した。
戦歴
第一次世界大戦アンドレア・ドーリアとカイオ・ドゥイリオ

本級は1911年度海軍計画において建造が決定され、カイオ・ドゥイリオは1912年2月に起工され、1913年4月に進水、1915年5月に竣工した。

一方、アンドレア・ドーリアは1912年3月に起工され、1913年3月に進水しておりここまでは1番艦と同じペースで建造が進んでいるが竣工は1916年3月約一年分遅れて竣工している。これは、第一次世界大戦開始に伴う社会的混乱により兵装や艤装資材の調達に遅れが出たためである。

しかし、とにもかくにも本級2隻の就役によりアドリア海を挟んで対峙するオーストリア=ハンガリー帝国海軍の弩級戦艦「テゲトフ級」4隻に対しコンテ・ディ・カブール級3隻+本級2隻の計5隻で対抗可能となった。

しかし、敵艦隊の主力であるウニーティス級がオーストリア=ハンガリー帝国海軍の現存艦隊主義により不活発であったために、本級2隻とも第一次大戦中は大きな作戦に参加したことはなく、もっぱらティレニア海イオニア海間の船団護衛任務かオトラント海峡封鎖任務に参加する程度で過分なく第一次世界大戦を乗り切った。
海軍休日と改装近代化改装後の本級のイラスト。

第一次世界大戦後の本級はカブール級と同じく1920年代に2隻とも近代化改装が行われたが、カブール級の改良型である本級は不具合は少なく改装の程度は必要最小限度に留められた。

しかし、カイオ・ドゥイリオは1925年4月にラ・スペツィア湾にて停泊中に3番主砲塔内で爆発事故を起こした。幸い、沈没には至らなかった。原因は弾薬庫内の装薬の自然発火と推測された。一方、アンドリア・ドーリアは1926年に国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の御座艦を務めた。1928年には2隻ともコンテ・ディ・カブールの使用実績から艦首甲板左舷部にカタパルトが装備されて水上偵察機が運用されたが、1932年に2隻とも予備艦となった。

このまま行けばイタリア海軍の海軍計画により近代的な新戦艦に取って代わられる筈であった。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国亡き後に新たに仮想的となった地中海を挟んだ大国フランスフランス海軍1931年に新戦艦ダンケルク級戦艦(33cm砲8門、30ノット)の起工を発表した事により、にわかに本級の重要性が高まった。

理由は、ダンケルク級戦艦への対抗艦としてイタリア海軍では新戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト級」(38.1cm砲9門、速力30ノット)を計画していたが、1番艦「ヴィットリオ・ヴェネト」と「リットリオ」ら第一グループの起工がどう急いでも1934年からになり、イタリア海軍の建造ペースでは早くても竣工は1940年と計算され、ダンケルク級の就役には到底間に合わないためである。そのため、イタリア海軍は窮余の策として練習艦任務にあったコンテ・ディ・カブール級に徹底的な近代化改装を行い、ダンケルク級の就役に間に合わせる為1933年からドック入りさせてしまったのである。そのため、本級2隻がカブール級の代わりに練習艦任務に就く事となり、更にはフランス海軍への平時の備えとして一線級の扱いを受けることとなったのである。

幸い、カブール級の近代化改装期間中に大過なく、無事にコンテ・ディ・カブールとジュリオ・チェーザレが1937年に相次いで再就役した事により本級の役目は終わったかに見えた。だが、フランス海軍はダンケルク級2番艦「ストラスブール」をヴェネト級第一グループと同じく1934年に起工させ、増強され続けるドイツ海軍とイタリア海軍への対抗として1935年に「リシュリュー級」(38cm砲8門、30ノット)を1935年から続々と起工させたのである。この時点でイタリア海軍は、更なる海軍増強のために本級2隻をカブール級の近代化改装の経験と、ヴェネト級の設計により得られた新技術を投入してカブール級を上回る近代化改装を施す決断をした。
大改装と、その結果近代化改装後のアンドレア・ドーリア。

カイオ・ドゥイリオは1937年4月よりC.N.T,社ジェノヴァ造船所にて、アンドレア・ドーリアも同年同月にトリエステ造船所にて近代化改修工事を実施し、カイオ・ドゥイリオは1940年7月15日に再就役、アンドレア・ドーリアは三ヶ月遅れの同年10月20日に再就役した事で判るように本級は第二次世界大戦までに間に合わなかったのである。
改装後の主砲

改装前の主砲はカブール級と同じく既存の30.5cm砲身のA内筒をボーリングして砲口径を30.5cmから32cmに上げる大口径化を行った。この方法ならば既存の砲身を加工するだけでコストも抑えられ、改造も砲架の補強と揚弾機の改正で済むため主砲塔を新設計するよりは時間の短縮となった。

この改造により「1934年型 32cm(43.8口径)砲」へと生まれ変わり、性能的にも砲弾重量は452 kgから525 kgへと増加し、威力増加が見込まれた。同時に第一次世界大戦時の戦訓により射程を延ばす為に仰角の引き上げが行われたがカブール級の最大仰角27度に対し本級は30度へと更に引き上げられた。これにより射程はカブール級の28,600mから29,400mへと延伸され、砲弾重量の増加により敵艦の水平防御への貫通能力も増加する見込みであった。

しかし、この改造の代償として口径は46口径から43.8口径にダウン、砲身を削って薄くなった事により命数は減少し散布界は広がった。しかし、発射速度は砲弾の重量化にもかかわらず改装前と同じく毎分2発を維持した。俯仰能力は最大仰角30度・俯角5度で、旋回角度は改造前の150度から左右120度へと減少した。


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