この項目では、アメリカインディアンについて説明しています。アメリカ陸軍の観測ヘリコプターについては「OH-58 カイオワ」をご覧ください。
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カイオワ族(Kiowa)とはアメリカ合衆国に先住するインディアン部族のひとつ。「カイオワ」は、彼らの言葉で「優れし者たち」という意味。
歴史カイオワ族の戦士たち(ジョージ・カトリン画、1830年代)
ブラックヒルズ近辺を領土としていた平原インディアンで、18世紀に西進してきたスー族によって、南部大平原へ追いやられた。現在も、ブラックヒルズのベアビュートは、カイオワ族にとって聖山である。略奪騎馬民族として、コマンチ族と同盟し、現在で言うテキサス州全土で略奪を行った。コマンチとともにメキシコを越え、中南米まで南下遠征した記録が残っている。
ララミー砦条約で白人政府に、テキサスの領土を明け渡し、オクラホマの保留地へ移住するよう強制される。これに対し、コマンチ族と組んで一大抵抗戦を行い、入植地を戦火で包んだ。捕虜となったサタンタ(白い熊)酋長
1874年7月20日の「レッド・リバーの戦い」では、カイオワ族酋長ローン・ウルフ(en:Lone Wolf (Kiowa))はコマンチ族の酋長クアナと手を組んだ。この戦いには、アラパホ族やシャイアン族の諸部族も結集した。テキサスのパロ・ デュロ・キャニオンの砦に立て篭もって、ウィリアム・シャーマン率いるアメリカ軍と戦ったが、同年の10月24日にサタンタが降伏し敗北してしまった。戦いの後、カイオワ族の指導者の大半が戦いの責任者として逮捕されるなどし部族から引き離された。ローン・ウルフ酋長は1879年に収容先で病没した。ホワイト・ベアー(サタンタ)曾長はレッド・リバーの戦いの後に逮捕され、1878年に収容先でノイローゼとなり自殺した。残った曾長も白人に毒殺されるなどし、カイオワ族戦士団は壊滅してしまい、彼らはオクラホマの保留地に強制移住させられた。
現在は、オクラホマ州に保留地を持ち、またカンザス州、ニューメキシコ州にも共同体を持つ。
文化バッファローの皮に描かれたカイオワ族の年代記
かつてはティピーを住まいとし、指言葉(平原インディアン手話)を使って他部族と交易をし、馬を駆ってバッファロー狩りをする、農業文化を持たない典型的な平原インディアンだった。好戦的だったが、どちらかといえば、白人とは友好的であった。母系社会であり、現在も女性の権威が強い。
ユト・アステカ語族に属するが、カイオワ族の出自や言葉は起源が不明確で、謎が多い部族とされる。19世紀初頭に平原アパッチ族の一部と同盟した、カイオワ・アパッチ族という支族を持つ。このカイオワ・アパッチは、カイオワ族のなかでアパッチ語を使い、アパッチの習慣を持続させ、ウィグワムも使用していたアパッチ族の集団である。