オール阪神
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今宮戎神社十日戎宝恵駕行列出発セレモニー
(2020年1月10日)
メンバーオール巨人
オール阪神
結成年1975年
事務所吉本興業大阪本社
活動時期1975年 -
出会い素人名人会での共演
芸種漫才
ネタ作成者オール巨人
同期明石家さんま
島田紳助
桂小枝
関根勤
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
1976年 第6回NHK上方漫才コンテスト 優秀話術賞
1976年 第11回上方漫才大賞 新人賞
1976年 第5回上方お笑い大賞 銀賞
1980年 第9回上方お笑い大賞 金賞
1981年 第16回上方漫才大賞 奨励賞
1982年 第17回上方漫才大賞 大賞
1982年 第2回花王名人大賞 漫才部門・名人賞
1983年 第18回上方漫才大賞 大賞
1983年 第11回日本放送演芸大賞 奨励賞
1983年 第3回花王名人大賞 漫才部門・名人賞
1984年 第4回花王名人大賞 名人賞
1985年 第20回上方漫才大賞 大賞
1985年 第14回上方お笑い大賞 大賞
1985年 第5回花王名人大賞 最優秀名人賞
1986年 大阪府民劇場 大阪府民劇場奨励賞
1986年 第6回花王名人大賞 名人賞
1987年 第7回花王名人大賞 花王名人大賞
2016年 第66回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)[1]
2016年 第51回上方漫才大賞 大賞
2019年 紫綬褒章 ※阪神・巨人ともに受章[2][3]
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オール阪神・巨人(オールはんしん・きょじん)は、日本漫才コンビ。吉本興業大阪本社所属。

1975年4月にコンビ結成。コンビ名は毎日放送の公開バラエティ番組ヤングおー!おー!』内で桂三枝(現・六代桂文枝)がコンビ名募集を行い、その中から採用されたものである。

2022年時点では吉本を代表するベテラン看板コンビとして名高い[4]
メンバー
オール巨人「オール巨人」を参照
オール阪神

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オールはんしん 1957年3月7日 - (67歳)大阪府泉大津市出身。私立成器高等学校(現・大阪学芸高等学校)卒業。本名:高田 昭徳(たかた あきのり)身長:161cm。体重:70kg。血液型:A型。ツッコミ担当。立ち位置は向かって右。
来歴・人物(阪神)

1974年頃、オール巨人と時を同じくして素人演芸番組に出演し、好評を博す。巨人とはアマチュア時代から親交がある(詳しくはオール巨人#来歴・人物も参照)。1975年2月、高校卒業が決まったため、既に巨人が入門していた岡八朗の弟子となる[5]
その他

釣り好きで有名。サンテレビで自身の釣り番組『ビッグフィッシング』を持ち、同局の長寿番組の一つとなっている。最終的に知ったかにはなったものの、『バレベルの塔』でも自称釣り賢者として挑戦している。

タバコ嫌いの巨人とは違い、愛煙家である。逆に下戸であり、酒好きの巨人とは違い、基本的に酒は飲まない。なお、シロップを沢山入れたアイスコーヒーを好むなど、甘党である。

バツイチであり、前妻が子供を欲しがらなかったが、阪神は子供を欲しがったことなどが原因で離婚した。現在の妻はゲルマニウムチタンブレスレットを扱う「サングリエヨシミ」の社長の高田良美。2007年4月に自叙エッセイ「幸せの舌シチュー」を出版。「サングリエヨシミ」の看板が大阪・北新地に掲げられている。妻がかなり稼いでいるため、大豪邸に住んでおり、頭が上がらないようだが、毎日息子と妻と3人で川の字で寝ていた。ちなみに妻の方が身長が高い。長男の高田隆平も吉本興業に所属し、漫才コンビ「きょうもかもがわ」を組んでいる[6][7]

主なギャグに、肩を触られたら「でい!! (聞かれたら)いかり肩ですねん」胸を触られたら「ポロッポー!! 鳩胸ですねん」背中を触られたら「ニャーォ!! 猫背ですねん」というものや、名前を聞かれた時に「高田です。タカタッタカタッタカタッタッタ・・・タカターカタカタッタッタの高田です」とウィリアム・テル序曲のメロディーに乗っての自己紹介などがある。他にも得意の物真似としてゼンジー北京ミスハワイなど芸人、酒井とおる横山たかし、喜味こいしや人生幸朗など故人も含む他の漫才師、浪曲や放送(駅の放送や告別式のスピーチなど)、各種動物(ウッドペッカーなどキャラクターも含む)、楽器やチャイムの音真似など数々の芸の宝庫であり、漫才以外の場面でも頻繁に披露される。基本的に漫才中でしか物真似を行わない巨人とは対照的。

本名の苗字から取った「高田百歩」(現在の芸名は「百歩」)と言う弟子がいる(正確には昔に漫才師を目指していた頃の相方の名字が中田だったので「高田百歩」という芸名を名乗ったとされる)。

芸風

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漫才のスタイルは正統派の「しゃべくり漫才」[8]で、ボケ役とツッコミ役はネタや場面によって入れ替わる。テレビでは一切放映しない劇場限定のネタも有している(後述)。

巨人曰く「400字詰め原稿用紙一枚では1分持たない、一枚半か二枚くらいでやっと1分」という速い喋りが特徴で「ゆっくりした漫才をやったことが無く、詰めて詰めて喋ってるうちに自然と速くなっていった」ということで、「速いということはたくさん喋れるし、そうすると笑いの回数も増えていく」という持論を述べていた一方で「本当のこと言うと、間が空くのが怖いというのもある」と話していたこともある[9]

かつての上方漫才は作家がネタを書くのが主だったが、阪神・巨人の場合、最初は自分たちだけでネタを作っていた。その後次第に作家にネタを作ってもらうようになったが、これについて巨人は「自分たちで作ったネタの方がわかり易いし、自分でネタが書けないとスタートダッシュは出来ない。ただ自分のネタだけだと引き出しがすぐ無くなってしまうのですごく疲れる。だからネタが枯れる前に人の台本でも出来るように面白い力を付けておくのが大事」と言った持論を述べている[9]

夢路いとし・喜味こいしの死後は『バラエティー生活笑百科』などで、ネタの途中で彼らの漫才の物真似(巨人=いとし役、阪神=こいし役)を行うことも多い。他にも嘗て番組の企画で砂川捨丸・中村春代の物真似を化粧やちょび髭、衣装を揃えて演じ切った。他にも平和ラッパ・日佐丸の日佐丸が「こんなん連れてやってますねん」とボヤき、これを受けてラッパが「苦労しまっせ(または「気ィ使いまっせェー」)」「ハハーッ、さいならー(しゃいならー)」も真似する。

デビュー直後は日々の仕事をこなすことに手一杯であったが、巨人によればある頃より海原かける・めぐるを意識し目標とする(めぐるは2012年現在吉本新喜劇で活躍する池乃めだかである)[10]。また2012年現在は夢路いとし・喜味こいし(共に故人)が目標であるという[10]。彼らは特にキャラの強く無い「無色透明」な二人であるが、喋り出すと抜群におもしろい。喋りひとつで無限のバリエーションを産み出す、究極の話芸であると言う[10]。このため阪神・巨人も、「阪神の背が低く、巨人の背が高い」と言う見た目のキャラクターを利用せずに、あくまで話芸で色を出す漫才師を目指しているという[10]
来歴・人物

前述の通り、互いに岡八朗門下。巨人は1974年7月に、年下である阪神は1975年2月に弟子入りしている。

アマチュア時代に臨時的にコンビを組んだことがあったが、お互いに素人番組の常連であったため持ちネタを熟知しており[* 1]、『ズッコケ学芸会』の予選会場でたまたまはじめて二人での芸を行ったが、非常に受けた[11]。その時に審査委員長を務めていたテレビ番組『ヤングおー!おー!』プロデューサーの林誠一に南出繁(巨人の本名)と当時高校生だった高田昭徳(阪神の本名)が共に吉本興業に所属することを勧められる[12]。なお当時南出と高田は林家染三に名前を貰い落語家を目指しており、林の提案がなければそのまま落語家になっていた可能性もあったという[13]。なお巨人によれば阪神・巨人は吉本で恐らくはじめて「スカウト」されて入ったコンビであり、島田紳助には「お前らはドラフト一位で入った」などと言われていたという[14]

高田が高校を卒業した1975年4月に正式にコンビを結成。南出はオール巨人、高田はオール阪神を名乗る。「高田・南出」と言うコンビ名で『ヤングおー!おー!』に出演したのがプロデビューである[15]。その後、「マネマネゴンスケ・マンスケ」(これは桂文枝(当時桂三枝)による命名[15])を経て、『ヤングおー!おー!』番組中での一般公募により、2020年現在のコンビ名、『オール阪神・巨人』となる[16]。劇場デビューはその後の1975年7月、京都花月となっている[16]。だが当初の3-4ヵ月はスベることが多く、観客からのヤジが多かった[17][* 2]

デビューの同期には1955年度生まれの明石家さんま島田紳助(以上二人は厳密には同期ではない。)・桂小枝[19](デビュー当時の芸名は桂枝織)がいる。

上述の経歴、後述の受賞歴にも表れているように、若い頃から正統派芸人としての評価が非常に高かった。

1980年頃から2年ほど続くの漫才ブームでは、オール阪神・巨人はその中心に居たとは言えなかった(ただし、4年間ほどは休みが一日もなく、漫才マシーン1号・2号などと言われることがあるほど多忙ではあった[20])。


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