オールブラックス
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ラグビーユニオンのナショナルチームについて説明しています。ラグビーリーグのナショナルチームについては「ラグビーリーグニュージーランド代表」をご覧ください。

「オールブラックス」はこの項目へ転送されています。ニュージーランドの先住民族マオリ代表のラグビーチームについては「マオリ・オールブラックス」をご覧ください。

ラグビーニュージーランド代表ユニオンニュージーランドラグビー
愛称オールブラックス
エンブレムシルバー・ファーン
ヘッドコーチ スコット・ロバートソン
主将サム・ケイン
最多キャップサム・ホワイトロック (153)
最多得点選手ダン・カーター (1598)
最多トライ選手ダグ・ハウレット (49)

ファースト
ジャージセカンド
ジャージ

初国際試合
 オーストラリア 3?22 ニュージーランド 
(1903年8月15日)
最大差勝利試合
 ニュージーランド 145?17 日本 
(1995年6月4日)
最大差敗戦試合
 オーストラリア 28?7 ニュージーランド 
(1999年8月28日)
 オーストラリア 47?26 ニュージーランド 
(2019年8月10日)
ラグビーワールドカップ
出場回数10 (1987年初出場)
最高成績優勝 (198720112015)
テンプレートを表示

ラグビーニュージーランド代表(英語: New Zealand national rugby union team)は、ニュージーランドラグビーユニオンナショナルチーム。愛称は「オールブラックス」 (英語: All Blacks)。エンブレムはシルバー・ファーンシダの葉)。
概要

次の優勝歴がある。

ラグビーワールドカップ 3回

ザ・ラグビーチャンピオンシップ(前身のトライネイションズでの10回含む)20回(史上最多)

現在、テストマッチで全ての対戦相手に勝ち越している唯一のチームである。これまでに行われた試合の約4分の3の試合に勝っており、勝率はサッカーのブラジル代表を上回る[1]

試合の前にニュージーランドの先住民であるマオリの伝統舞踊「ハカ」(カマテ、カパオパンゴ)を行う。

1996年からラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)およびオーストラリア代表(ワラビーズ)との国際対抗戦トライネイションズを開催し、2012年からは新たにラグビーアルゼンチン代表を加えたザ・ラグビーチャンピオンシップを開催している[2]

1925年から1999年まで75年間に渡りカンタベリー・オブ・ニュージーランドと公式サプライヤー契約を結んだが、1999年シーズンからアディダスと公式サプライヤー契約を、1998年シーズンからニュージーランド航空、加えて2012年シーズンからAIGと公式スポンサー契約を締結している。
代表資格とサバティカル

海外チームでプレーする選手は、ニュージーランド代表資格を持てないというニュージーランド協会独自の規定がある。その例外規定として「サバティカル(sabbatical、日本語の『長期休暇』に相当)」があり、1年間の休暇を利用して海外でプレーをすることができる。これを利用し、季節が半年ずれている日本のリーグワンなど北半球で、多くのオールブラックス選手が活躍している[3][4][5][6]
歴史
ラグビー王国の誕生1905年 - 1906年に北半球遠征を行ったオリジナル・オールブラックスメンバー。1905年に掲載された英国の風刺漫画雑誌パンチの1ページ。当時の風刺画ではブリテン諸島代表を強靭なライオン、オールブラックスを足の速いピューマに見立てた。オールブラックス対イングランド、 トゥイッケナム・スタジアム( 2006年)

ニュージーランドへのラグビー伝来は医学者で政治家のデビッド・モンロ(出身はスコットランドエジンバラ)の息子であるC.J.モンロにより伝えられた説が有力である[7]。C.J.モンロは留学先のロンドンでラグビーと出会い1860年代後半にニュージーランドへ伝えたとされている[8]。1870年5月にネルソン・カレッジとネルソン・クラブとの間でラグビーの試合が開催された[9] 。1882年にサザンラグビー協会(現:ニューサウスウェールズ州ラグビー協会)がニュージーランド遠征を行い[10]、1888年にブリテン諸島チーム(イングランド、スコットランドおよびウェールズの選手から構成)がニュージーランド遠征を行った[11]

1892年にニュージーランド・ラグビーフットボール協会(NZRFU、現在のニュージーランド・ラグビー協会(NZRU))が設立され、1893年にニューサウスウェールズ州へ遠征。翌年にはニューサウスウェールズを招き初のホーム試合を開催。公式な初のテストマッチは1903年にシドニーで開催されたラグビーオーストラリア代表(ワラビーズ)との試合になる。

1905年から1906年にかけ初の北半球遠征(ブリテン諸島フランスアメリカ合衆国)を行った際にオールブラックスと呼ばれるようになったとされる(詳細は#ニックネームを参照)。この北半球遠征に帯同したメンバー27名は“オリジナル・オールブラックス”と呼ばれ、伝説のチームとされている。この遠征成績は35戦34勝1敗、うちテストマッチ5戦4勝1敗。

1921年にラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)がニュージーランド遠征を行い、1928年にはオールブラックスが南アフリカへ遠征。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:152 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef