オールザッツ漫才
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オールザッツ漫才
ジャンル
バラエティ番組
演出津嶋綾菜
出演者本項を参照。
製作
プロデューサー清水涼平、高橋滋己
金丸貴史、渡邊恒史
制作毎日放送

放送
音声形式モノラル放送ステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間1990年12月7日 -
放送時間年により異なる
特記事項:
1991年以降は毎年12月29日深夜から30日未明・早朝にかけて(年によっては30日未明・早朝に)放送。
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『オールザッツ漫才』(オールザッツまんざい)は、毎日放送(MBSテレビ)が1990年から、毎年12月29日深夜から30日未明早朝にかけて(年によっては30日未明・早朝に)、特別番組として放送するバラエティ番組

ハイビジョン制作で、基本として関西ローカル生放送。ただし、放送年によっては、毎日放送の系列局(系列キー局のTBSをはじめ、同系列)の一部で同時ネットを実施することがある。

本項では、2018年の年末に毎日放送で深夜に編成された特別番組『3夜連続オールザッツ』シリーズや、年末以外の期間に深夜以外の時間帯で放送された派生番組、派生番組と連動したイベントなどにも触れる。
概要

1990年に放送開始。毎年年末に約5時間という長丁場で、深夜に公開放送の形でオンエアーされるお笑い(ネタ)番組である。なお原則として公開生放送であるため、法律や条例などの規制に従い、未成年者(20歳未満)は保護者同伴を含めスタジオ生見学できない。

番組の原型は、同様の形式で放送された『朝まで働けダウンタウン』(1988年1989年)で、この時点では出演メンバーは主に当時の心斎橋筋2丁目劇場のメンバーとなっていた。オールザッツ漫才となった初回の司会はオール阪神・巨人。開始当初はベテランから若手まで、吉本芸人が総動員で漫才やコントを披露していたが、特に若手の中にはNSC在学中に出演する芸人も多く、テレビ初出演がオールザッツというコンビも多い。

1996年から番組のメイン企画であるトーナメント戦がスタート。第一回優勝はデビューして間もないシャンプーハット。これがきっかけで知名度を上げブレイクした彼らは後に「人生の名シーン」として2人ともこの出来事を挙げた[1]。また後輩のフットボールアワーも当時を振り返り「衝撃的だった」「どんどん売れていくシャンプーハットさんを見て周りは慄いていた」と語っている[2]

一時期はトーナメントがなくネタ披露のみの編成もあったが、近年は若手芸人のトーナメント(2007年より一対一の対決制から足切りによる勝ち抜け制度に変更)・中堅芸人の一本ネタ披露とを軸にした形で放送されている。

「この番組を見れば今の関西の笑いが分かる」と言われる[3] ほど多くの人気芸人が出演しており、かつてはダウンタウン等、吉本の大御所タレントやキー局の関係者も番組を視聴していると言われた。

関西ローカルの番組としては、同時期に放送される『八方・今田の楽屋ニュース』(朝日放送)とともに、年末深夜の特番として完全に定着している。

2013年・2014年にはTBSテレビでもネットされ、関東広域圏でも初めて放送された。これに対して過去の出演者である千原せいじは「関西だけでやってたから楽しかった」と発言。また長年番組の顔として活躍し、2009年には司会を務めたケンドーコバヤシは「毎年、関西からビデオを取り寄せていたテレビ関係者にも『いつでも見れる感』が生まれていると思う。しかも関東の芸人に手の内を見られ、既に攻略されてしまう」と否定的な意見を述べており、この2年以外関東での放送は無くなっている。なお、2016年以降はMBS動画イズムおよびTVerで本番組の見逃し配信が行われている。

また、師走の夜中に長丁場の生放送という事もあってか、ネタに対する観覧客の反応がシビアなのも特徴のひとつである。若手のネタがスベった場合の凍りついた空気も、放送コードギリギリのネタも無駄なカットがなくそのまま放送されている。なお博多華丸・大吉は「今までで一番ツラかった仕事」として福岡吉本時代に出演したこの番組を挙げている。また2003年まで出演していた後藤輝基フットボールアワー)は「オールザッツはお祭りの割に客が重かった」と語っている[2]

2011年3月2日に第1回から第20回まで収録されたDVD4枚組が発売された。

出演者の世代交代も頻繁に図られ、番組の顔だった芸人も続々と卒業している。かつてはリットン調査団バッファロー吾郎たむらけんじケンドーコバヤシサバンナ野性爆弾笑い飯千鳥ダイアンジャルジャルなどが番組を大きく彩った。なお2011年に発売された番組のDVDの副音声内で、陣内智則とたむらけんじは「もう我々が出ることはない」と発言している。

スタジオは過去2回移動しており、1990年から2000年までは茶屋町本社の「GALAXY HALL(後にギャラクシースタジオ→Cスタジオと名称変更→現在のライブセンター)」で行われていた。2001年から2013年までは「MBSスタジオinUSJ」に移ったが、2014年には再び茶屋町本社の「Cスタジオ(旧GALAXY HALL)」へ戻った後、2016年からは茶屋町本社B館(Aスタジオ、Bスタジオ。年によりどちらかのスタジオを使用)からの生放送となった。
組の取り決め
ネタ組

出場する芸人のベテラン・中堅クラスに位置する芸人の組。後述のトーナメント組との違いは賞レース形式ではなく普通にネタを披露するだけのシンプルスタイル。ネタ時間は主に3 - 4分だが、こちらも組によって多少異なる。ただし2001年まではなんばグランド花月に常連出演する芸人も参加していたが、2002年からはベテラン勢が出なくなり、中堅勢のみがネタ組として出演。

トーナメント制ではない年でも、ネタ組制度は導入されている。また2004年以降は出場芸人の知名度や実績(「M-1グランプリ」「R-1ぐらんぷり」等の全国ネットでも放送されている賞レース番組で好成績の残した組)も考慮し、若手クラスの芸人でも、(これまでのトーナメント組の実績を度外視し)ネタ組に昇格することもある。

近年は基本的に中堅・若手勢による構成となっている。ある程度キャリアが長くなった常連の芸人は卒業してしまう事が多々ある。

2016年、2017年は「フルスイング組」と改題し、通常のネタ番組ではあまり披露しない少し攻めた内容のネタでの勝ち抜き戦を開催。更に2018年以降は全編トーナメントがメインとなりネタ組が廃止され、「オールザッツレジェンド」と呼ばれる過去に当番組を支えた先輩芸人やトーナメントの優勝経験がある芸人らがトーナメントの「見届け人」という立場で出演した。

2020年はネタ組制度が5年ぶりに復活。ただし通常のネタ組ではなく「深夜のぶっ込みネタLIVE」と題して全16組がトーナメントの合間にネタを披露した。
トーナメント組

出場する芸人の若手クラスに位置する芸人の組。賞金及び副賞をかけて1回戦(1分ネタ) - 3回戦若しくは4回戦(2分 - 4分ネタ)まで行い、客席のスイッチ投票で進出・優勝するか決まる。2000年・2004年の司会は「前回トーナメントで優勝したから、ネタ組に昇格」を毎回強調しているが、必ずしも優勝してすぐにネタ組に昇格とは限らず、数年経過してから満を持してネタ組出場となる芸人も少なからずいる。

基本的には若手クラスのみの組だが、リットン調査団(2001年まで)や青空など(スタッフか本人らの意向かは定かではないが)、ある程度キャリアがあってもトーナメント組に長年残留している例もある。ファミリーレストラン(2008年まではジャンクション)は2009年の放送内でいまだにトーナメント組であることをいじられており、2010年にも出場。初めて1回戦勝ちぬけを果たす。

2006年以降は出場若手芸人の増加に伴い、ワンコイン組(芸歴と収入を考慮した組、2006年)・Foot Cut バトル(放送の事前に番組出演をかけて行うトーナメント、2007年)を導入、トーナメント組出場の門戸も広がった。
各回のあらまし(1990年以前・2000年以降)
1990年?1999年

第1回(1990年)は「MBS金曜スペシャル オール・ザッツ・漫才?漫才一本にかけるオール阪神・巨人?」というタイトルで放送。その後、第8回(1997年)までは総合司会をオール阪神・巨人が担当。初期にはまるむし商店おかけんた・ゆうたトミーズハイヒール清水圭・和泉修らが出演。また初期に関してはネタバトルは行われなかったものの、若手組として当時心斎橋筋2丁目劇場などの劇場で活動していたティーアップぴのっきをベイブルース雨上がり決死隊しましまんずトゥナイト千原兄弟FUJIWARAバッファロー吾郎ナインティナインチュパチャップスへびいちご矢野・兵動などが出演。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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